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806 よく書籍において「日本海軍は対潜においてソナーが役に立たず、目視に頼った」という文章を見ます。

しかし、アメリカ海軍の潜水艦喪失数が54隻、そのうち日本海軍によるものが42隻
イギリス海軍の潜水艦喪失数が3隻、このうち日本海軍によるものが3隻
ロシア海軍の潜水艦喪失数が2隻、このうち日本海軍によるものが2隻
合計47隻の潜水艦が航空機や水上艦艇、機雷により撃沈されたことを考えると
目視のみでこの数値はとても厳しいのではないかと私は思います。

さらに日本海軍は127隻の潜水艦が亡失していますが、このうち戦闘を原因とするものは78隻(うろ覚え)だったと思います。
最新のソナーを使用した米海軍と目視のみに頼ったと言われている日本海軍の対潜戦果の差が少ないことを考えると実際は日本海軍も目視のみではなく、ソナーを用いて対潜活動をしていたのではないでしょうか?
みかん段ボール

  1.  パッシブソナーは日本海軍でも配備率が高くて使ってましたよ。
    おうる


  2.  あと、磁気探知機も使っています。
     https://ja.wikipedia.org/wiki/KMX
     
    hush


  3. ご質問内容とはズレますが、イギリスとロシアの喪失数が3隻、2隻ってことはないと思うのですが。
    かめ


  4. 戦争後半の戦争体験談などにソナーを使って撃沈した事が書いて有ったのを見た事が有ります。暗号が解読されていたり、使い易い対潜兵器が無かったから駆逐艦等の護衛艦がかなりやられているかと思いますが、本当に対潜戦果の差は少ないのでしょうか。
    暇人


  5. 木俣滋郎さんの「潜水艦攻撃」(光人社NF文庫)という本に、日本軍が沈めた連合軍の潜水艦全五六隻について、その状況が簡潔に記されております。何で探知したかまでは書いてない場合も多いですが、全体像がつかめるので、興味があれば是非目を通してください。
    ちなみに撃沈の状況はさまざまで、やはり目視が多かったように思われますが、音源や磁気で端緒を捉えたことも結構あるのではないでしょうか。
    とおり


  6.  何かの本(サイト?)に書いてありましたが、この時代、つまり’40年代頃は日本のみならず諸外国でもソナー、レーダー、無線等に対する信頼性が高くなかった、むしろ低かったようです。

     よって目視、視認に頼ってたのは日本だけではないようです。
    板野ファン


  7. 皆さん回答ありがとうございます。
    諸外国も目視に頼って居た部分もあるっていうのは意外でした
    潜水艦攻撃という本は初めて聞きましたね。今度買おうと思います。

    >>かめ様
    すいません重複して居ましたね。英露の潜水艦で太平洋戦線で行動し、日本軍によって撃沈されたのが3、2隻ということです。地中海も含めればもっとありそうです。
    みかん段ボール


  8. >1 駆逐艦・水雷艇に関して言えば、探信儀で聴音機を兼務する例が大多数で、一部の新造艦を除くと聴音機を単体で別途搭載するのが標準化するのは、戦争後半以降の話です。
    大塚好古



805 またもや質問すいません。
島風の五連装魚雷発射管の重量は何tなのですか?
des

  1. 正確なトコロは判りかねますけど「海軍水雷史」の駆逐艦用三連装・四連装の数値より推し量るならば
    型式   九〇式三連装二型  九二式四連装二型  零式五連装(推定)
    発射管  12.095トン     16.200トン     20.305トン
    盾    1.700トン      2.000トン     2.300トン
    関係兵器 0.166トン      0.160トン     0.160トン
    合計   14.141トン     18.360トン     22.765トン
    ・・・
    つまり約23トンてなトコロではないでしょうか

    駄レス国務長官


  2. 正確な資料は残っていないのですか?
    有名な兵器ですからあると思ってたんですけど。
    des


  3. ご調査の目的が不明ですが、どの程度正確ならご満足頂けるのでしょうか?
    駄レス国務長官


  4. 架空艦を作ってて島風の魚雷を撤去して機銃を搭載したら重量バランス的にどうなるかなとかんがえてたんです。
    des


  5. 重量バランス以前に種々考慮すべき点が有るんじゃないでしょうか
    駄レス国務長官



804 八八艦隊って戦艦八隻、巡洋戦艦八隻の計画というのはよく知られていますが補助艦はどういうのを計画してたんでしょう?
5500t級等が含まれるのは知ってますがそれ以外はあまり知らないのでよければ教えて下さい。
アハトアハト

  1. ウィキペディアの八八艦隊の項目から、年度ごとの整備計画である八四、八六、八八の各艦隊案のページにとんでそこから詳細を見ることができます。
    のけ


  2. 確かに書いてましたね、ありがとうございました。
    アハトアハト



803 模型誌に長波は最終時、2号2型電探を2基装備していたとありました
1基は前檣上だとして、もう1基はどこにあったのでしょうか
しなの

  1. そもそもその記事が間違っているのでは?
    過去にも某模型誌において「夕雲型の2番主砲が撤去され機銃が増備された」などという記事が掲載された事もありますし(実際には夕雲型で2番砲を撤去した艦がない)。
    朝霜や長波の最後を捉えた写真でも見当たりませんし、下手すりゃ記事を書いたライターが電磁ラッパ2個一組の22号電探を見て「2基装備」と勘違いした可能性すら考えられます。
    薩摩


  2. 「福井静夫著作集−日本駆逐艦物語」(光人社)に掲載されている「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」に以下の通り記述されています。

    長波:二号二型電探2、一号三型電探1
    二号ニ型電探の装備場所:前檣に2基
    (「各艦機銃、電探、哨信儀等現状調査表」(福井静夫氏作成)より)

    利根型重巡のように、前檣上部の両舷に1基づつ搭載されていたようです。
    Ranchan


  3. ありがとうございました
    駆逐艦のような数の多い同型艦でも仕様は共通ではなく、
    改装に際して電探の数のような大きな差異があるものなんですね
    しなの


  4. >>2
    それは装備状況を示した公式図面、或いは写真等による裏付けがとれているものなのでしょうか?
    正直なところ福井氏は海軍の公式図面に「陽炎型秋雲」とあるのに秋雲を夕雲型へ分類した事もありますし、裏付けが取れていない場合はそれが正しいとは言い切れないと思います。
    他の夕雲型駆逐艦、事に最後に撃沈された朝霜や長波と同時期に撃沈された浜波の写真を見ても2基装備とは思えません。
    他の2号2型電探装備の艦隊型駆逐艦が松型に至るまで1基装備なのに長波のみが2基装備とは考え難いのですが……。
    薩摩


  5. >>4
    氏の遺された「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」では確かに「長波」のみ「二号ニ型電探:2基装備」となっており、他の駆逐艦は1基装備です。
    誤記などの誤りがある可能性は否定しませんが、実艦に関わられ調査された福井静夫氏の「長波」2基装備説を否定するだけの根拠や資料・写真などは私にはありません。
    Ranchan


  6. >駆逐艦のような数の多い同型艦でも仕様は共通ではなく、
    戦地派遣により改装が計画通りに行われなかったり、現地改造で急きょ実施したりということが頻発しますから戦時じゃ当たり前のこと。同型艦でまったく同一な仕様を維持するというのは無理ですよ。
    のけ



802 デ・モイン級重巡洋艦の機関部の重量ってどれぐらいなんですか?
des

  1. Friedman著“U. S. Cruisers”に拠ると缶水・油を含まない「ドライ」状態で2,456.63英トン(約2,499メトリックトン)とのことです
    ちなみに缶水・油を含むと2,548.54英トン(約2,589メトリックトン)になります
    駄レス国務長官


  2. なるほど、ありがとうございました。
    des



801 ワシントン海軍軍縮条約において、日本海軍は当初「陸奥までは議論の余地無く存続。加賀型2隻の存続が主題。天城以後は議論の余地無く廃棄」との見方だったようですが、米英海軍に対してはどの程度の主力艦の存続を認めるつもりだったのでしょうか?
史実+2隻の新戦艦の存続を主張する以上、最低でもそれぞれに史実+2隻以上の新戦艦存続を認めないとバランスが取れないと思いますが。
きっど

  1. それでは会議で決まった5・5・3の保有トン数比率が事前に根回しされ日本がそれを受け容れていたということになってしまいますね。ならば会議などしなくても良い訳です。日本は対米7割程度の保有を主張する腹積もりで会議に臨んで、早々に5・5・3の比率が既に決定事項の如く伝えられたことで困惑したのです。
    BUN


  2. 対米7割を目指していたのは分かりますが、長門型・加賀型を保有するとなると16インチ砲艦4隻36門となり、コロラド型4隻32門を圧倒するのように思われます。
    旧型艦でバランスを取るとしても、さすがに認めさせるのが困難ではないか、レキシントン級やサウスダコタ級の1〜2隻も認めなくてはならないのでは? と思って質問しました(付き合わされる英国の苦労・・・・・・)
    きっど



800 えひめ丸事故の原因となった米原潜の急速浮上設備について、事故直後の新聞には、「我国の潜水艦は、使い方が異なる、あるいは不必要な為設置されていない」と記されていました。では、米原潜はどの様な目的で、あるいは使用目的のため設置されているのでしょうか。
UK

  1. この分野は詳しくありませんが、回答がないようなので呼び水として…。

    当時、グリーンビルは緊急浮上訓練をしていたそうですが、これはスレッシャー沈没事故の教訓から行われるようになった訓練のようです。
    で、Wikipediaでスレッシャーの項を見てみると、
    「ディーゼル機関の潜水艦と異なり、原子力潜水艦は海面への浮上に当たってバラストの排出よりも速度と艦体の角度に依存している(つまり、艦体を海面に向けて推進させることで浮上する)。また、深海ではバラストタンクから排水することもまずない。」
    との記述があります。
    このことを指しているのではないでしょうか。
    YK


  2. どうも有難う御座いました。
    スレッシャ−沈没事故の教訓ですか。737の2にも関係しますが、沈没の原因は、耐圧船穀が割れたのだという思いを強くしました。
    なお、他の装備理由としては、北極海の氷をぶち破って浮上する為と思っています。
    UK



799 長門型の主砲の口径は41cmであり、厳密には制限値の16インチを超えていますが、これは軍縮条約締結にあたってどの様に扱われたのでしょうか。(フッドは、完成している為、例外的に重量オーバーは認められ、軽巡の主砲もフランスの軽巡が既に完成しているため155ミリに定められていますが)
UK

  1.  410mmであることは公表されませんでしたので、各国は16インチ、406mmだと信じていました。
     
    hush


  2. 当初は四十五口径三年式四十一糎砲と呼称していましたが、大正11年に四十糎砲に変わったとの事で、改称はワシントン海軍軍縮条約の16インチ以下という規定に文面上合わせると共に、実口径が410mmを悟られるのを避ける意図があったかも知れません。

    これは素人の憶測ですが、会議では四十一糎は406mmをサンチ単位で表記する時に切り上げた呼称であるなどと説明したのではないでしょうか。
    インチ寸法の近傍サンチ表記は大正6年からで、cm未満の切り上げは3インチ(76.2mm)を八糎、切り捨ては12インチ(304.8mm)を三十糎・6インチ(152.4mm)を十五糎などの例があります。
    5インチは切り上げずそのまま十二糎七と呼称しているのは腑に落ちませんが…。
    大瀬千早


  3. どうも有難う御座いました。ただ、八八艦隊のかなり詳細な内容が米国に漏れていたことからも、外国が気付かなかったというのは、本当かなという気がします。
    UK



798 チャーチルがKGV級をして「われわれは戦艦のような物で今大戦を戦った」と評した、という有名な逸話ですが
日本語版Wikipediaでは要出典が付いていて、英語版の記事でもそのような事を言ったという事は書かれていません
彼が本当にそういう言葉を残したのか、この話の真偽を出来ればソース付きで教えてください
本当に言っていたとしたら、原文の英語では何と言っているのでしょうか?
Ikhatovisch

  1. ”Churchill fought” ”Churchill battleship”でくぐってみれば判るんじゃないでしょうか
    駄レス国務長官


  2. 原文のアタリを付けて
    churchill king george v class
    churchill fought battleship
    などでググってみましたが、それらしいものがヒットしないので……
    Ikhatovisch


  3. ヒットしないところから推して知るべしではないでしょうか
    駄レス国務長官



797 この質問は削除されました
管理者


796 除氷作業に引き続いて、ふたたび質問をさせていただきます。
現在趣味で書いている小説のネタにと、イギリス海軍の駆逐艦について調べているのですがネット上であまりヒットせず困っております。ハント級駆逐艦およびフラワー級コルベットの資料、特に艦内構造(可能ならば図面)に関する情報が掲載されているサイトや書籍をご存知のかたはいらっしゃいませんでしょうか?
のけ

  1.  flower class corvetteで画像検索すると、らしいものがいくつか出てきますね。残念ながら、hunt class destroyerではよさそうなのが出てきませんが。
     
    hush


  2. hushさん、こちらにも回答ありがとうございます。
    やはりハント級のほうはなかなかありませんか・・・。
    いちおう、オスプレイシリーズでよさげなものをアマゾンで購入してますたので、そちらのほうを参考にしたいと思います。(年末に注文して届くのは4月末ですが・・・(泣))
    のけ


  3. ×してますた
    ○してます

    誤字った・・・。
    のけ


  4.  ハント級の図面であれば、

     British Warships of the Second World War (John Roberts)

    に艦内配置図を含めて、三型の複数の図面(原図の転載)が掲載されています。

     旧版は今でも高いですが、近日発売予定(は未定であって決定ではありません)になっているこれが恐らくは改訂版だと思われますれば、安いですし試しに買ってみても良いのではないでしょうか。

     https://www.amazon.co.jp/British-Warships-Second-World-War/dp/1473890683/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1486195626&sr=8-1&keywords=British+Warships+of+the+Second+World+War+Roberts

     あとハント級護衛駆逐艦の資料として、古き良きMan'O Warシリーズの4作目として同級を扱った本が出ています。同級の戦時中の写真と、迷彩図多数がありますので、価格によっては手を出しても良いかもしれません。
    大塚好古


  5.  フラワー級はAnatomyのシリーズにありますから、まずはあれを入手されるべきかと。古本価格は結構上がってますが、海外の古本屋で探せばソコソコ数が出てくる本ですから、折り合える値段の物があれば、手を出しても良いかと個人的には思います。
    大塚好古


  6. 大塚好古さん
    アマゾンのサイトを覗いてみましたが、思ったより安かったのでさっそく注文いたしました。嬉しいことに月末には届くようですので、参考にさせていただきます。
    ありがとうございました。
    のけ



795 戦艦大和では第五分隊と第六分隊が高角砲、第七分隊と第八分隊が機銃を受け持っていたと聞きます。
これらは右舷と左舷で別れていたと聞きましたがどちらが右舷でどちらが左舷なのでしょうか?
また、当時の乗員の方の話で「駆逐艦には風呂がないので大和の風呂に入りに来ていた」というのがあったのですが駆逐艦長でも風呂がなかったのでしょうか?
大和

  1. 機銃分隊について
    具体的な資料を持ってないので分かりません。

    風呂について
    手元に光人社の「日本の駆逐艦」があるが、そこに掲載されている特型暁の図面には浴槽らしきものが書き込まれた兵員浴室がある。一方で松型橘のほうはイマイチ描写がはっきりせず、部屋の面積も暁に比べて心持ちせまいように見えます。艦内容積や建造コストの問題から艦型ごとに浴槽の有無が分かれていたのかもしれません。この辺は当時の手記などをあさってみないと確定できないかと思われます。
    のけ


  2.  「巨大戦艦『大和』全軌跡」という本には、第5分隊(前部)、第6分隊(後部)とあるそうですが(どこへ置いたのか忘れたので、ネットのBook検索で調べています)、前後で分けていたということはありませんか。というのは、高角砲分隊が第5分隊だけの時期のことでしょうが、前部第6分隊、後部第7分隊のという記述もあるからです。
     「日本の駆逐艦」もどこへ置いたのか分かりませんが、基本的に兵員用の浴室は旧日本海軍の駆逐艦にはありません。あるのは士官用で、兵員は、甲板にキャンバスでプールを作って、そこにボイラーで沸かした海水を入れてということになります。
     ただ、洗顔、濯ぎ等に使用する真水の使用はかなり制限されるので、駆逐艦のような小型艦の場合、造水能力に余裕のある大型艦へ行ったのでしょう。
     
    hush


  3. ありゃ、兵員用のものはないのですね。「日本の駆逐艦」には兵員浴室と書かれていたのですが、士官浴室がないのを見るとこちらが士官用のものだったのかな?

    のけ


  4. >3
     すいません、後で調べたら、特型も含めて旧式の駆逐艦には兵員浴室があったようです。
     御免なさい。
     
    hush


  5. 前後で別れていたのですか。
    私は左右で別れていると聞いていたのですが、具体的に前後のどのあたりで別れているんでしょう?
    高角砲とかは数からして前後で分けにくい気がするのですが。
    駆逐艦についてはありがとうございました。
    大和


  6. 世艦の大和トリビア本だとS18.11以前は高角砲・機銃とも各1分隊、S18.12以降は各2分隊とのことですから増設に備えて分隊も増やしたんじゃないでしょうか

    駄レス国務長官


  7. 駆逐艦の風呂について。
    「天津風」が魚雷で艦首を切断して漂流した際に、士官浴室に残っていた浴槽の真水で生きながらえた、という記述を見た記憶があります。(出典は忘れました。曖昧な情報で申し訳ありません。)
    少なくとも甲型には、士官浴室はあったようです。
    YK


  8. 駆逐艦の浴室に関して、丸スペシャルの日本の駆逐艦より。
    野分は後檣の下、二番連管の次発装填装置に接した上部構造内に兵員浴室の表示があります。
    初雪・浦波・夕霧・暁・春雨・荒潮・檜も殆ど同じ場所に兵員浴室や兵員浴室用煙突があります。
    初春型や乙型、丙型も、丁型にあってこれらには無いとは考えにくく、兵員浴室まであるのではないでしょうか。
    水雷艇は上記書籍では浴室の記載は見当たりませんが、他の資料では丙型海防艦も士官浴室・兵員浴室まであるので、精細に探せば見つかるかも知れません。
    余談ですが、第13号型駆潜艇では公式の艦内側面図・各甲板平面図を見ても浴室が見当たらず、駆潜艇クラスでは浴室が無い模様です。

    >7
    駆逐艦の士官浴室は艦首側士官居住区の近傍、船首楼内にあるケースが殆どのようで、艦首というより船体前半を切断亡失した天津風の場合では士官浴室は残存していないと思います。
    兵員浴室なら前掲の通り後部上構内ですので、こちらのほうではないでしょうか。
    大瀬千早


  9. >5
     すいません。それは存じませんので、どなたかフォローして戴ければと思っております。
    >8
     フォロー、ありがとうございます。
     
    hush


  10. >8
    ご指摘、ありがとうございます。
    書き込んでから再度ソースを探したのですが、発見には至りませんでした。
    士官浴室が船首楼にあったのならば、被雷時に失われていますね。
    ただ、出港5日目の兵員浴室に真水が張ってあったとも思えず、風呂の水を云々という話し自体が怪しく思えてきました…。
    YK


  11. とりあえず、駆逐艦には風呂はあると言うことですね。
    それがわかれば大丈夫です。
    ありがとうございました。
    大和



794 ※初投稿
いわゆる除氷作業についての疑問です。国籍を問わず、北海やオホーツク海などを航行中の艦艇では甲板上に張り付いた氷塊を乗組員が毎日取り除いていたと聞きますが、この作業はどの程度の頻度で、また何時くらいの時間帯に行うことが多かったのでしょうか?
作業中の写真はいくつか見つけたのですが、その詳細が分からずもやもやしております。かなりマニアックな内容ですが、ご存知のかたがいましたらお教えください。
のけ

  1.  何か参考になることはないかと、アジア歴史資料センターで北洋で活動していそうな艦の戦闘詳報、戦時日誌を漁ってみましたが、管見の限りでは見つかりませんでした。
     したがって、以下は憶測になります。

     甲板よりも、高所に結氷しますと重心が高くなって横転の可能性が出てきます。もちろん、艦艇の高所部にそれほどの面積があるわけではありませんが、 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjasnaoe1968/1972/131/1972_131_137/_pdf で読める「船舶の着氷について」という講演では、船橋前面の着氷量は385kgであったのに対し、上甲板上に仮設した2条のライフラインでは357sとほぼ同量の着氷量があったと記されているように、索具類やヤードに着く氷の量は存外に多いわけです。これは、壁面、甲板上等については面積当たりの氷の量になるのに対して、ロープやパイプ等には同じ厚さの半径の氷、つまり、直径では2倍の量となるからです。このため、横転したという記載が同じ講演の第1報のほうに海外の情報として記載されています。したがって、この氷を取り除くというのは、危険性が生じる可能性が出たら早急にということになります。
     つまり、どの程度の頻度で、どのような時間帯に作業を行うものかというのは、状況次第ということになり、深夜でも、必要があればしなくてはならないということにます。
     逆に結氷の程度が小さければ、作業が危険と思われた場合、放置しておくでしょう。
     もちろん、砲塔、魚雷発射管やレーダー、それに揚錨機等の可動部分や艦橋の窓等は凍りつくと問題ですし、甲板を作業や移動の際に困難を生じますので、除去しておいたほうがいいと思います。
     ところで、御質問が最後に書いたようなケースを想定されている場合、回答するような知識は持っておりませんが、甲板が凍り付いていると作業時に危険が生じますので、外に出る前に行う必要は生じるとは思います。ただ、緊急時を除いては夜間は困難を伴いますので、作業は始業時が基本となると思われます。そして、夜間、気温が下がるときに結氷は起こりやすいとは思いますが、海水の飛沫が多く、気温が低い場合は、日中でも甲板が凍るということ生じますので、再度行う必要が生じるとは思います。
     したがいまして、日常作業においても必要があればということになり、日に何度と定めるような種類のことではないと思われますし、上記の講演で示されていますのは、間宮海峡南部でのものでありますから、たとえば、オホーツク海北部やベーリング海等では状況が異なり、季節、天候によっても大きく変動することを考慮に入れると、定量化することは困難であろうと愚考致しております。
     

    hush


  2. hushさん、ご回答ありがとうございます。
    手持ちの小説(といっても架空戦記ですが)に「毎日2回人を出してうんぬん」と書かれていたので気になって質問いたしました。
    やはり気象条件そのほかで変わるので、定型化はされていないと考えたほうがよさそうですね。参考にさせていただきます。
    のけ


  3. 追記
    自分が想定しているのは、装備類も含めた甲板全体の除氷作業です。毎日の日課として、部署ごとではなく艦全体で一斉に行うものなのかなと思って質問させていただきました。
    のけ


  4.  横からですが・・・近現代の艦船についている放射能洗浄のためのスプリンクラー(?)は除氷・融雪には使えるんですか?
     気温が低すぎると逆効果になりそうな気もしますが・・・
    おうる


  5. >4
     雪国では、道路に水道設備があって、雪を融かしていますが、あれを北海道の人が見ると非常に驚くのだそうです。そのようなことをしたら、道が凍ってしまうだろうと思うからです。
     北海道では、冷蔵庫を保温庫と申します。凍らせたくないものを入れておくためです。逆に凍らせておきたいと思ったら、戸外に出せばよいわけです。
     また、道南の一部を除くと瓦屋根がありません。凍って割れてしまうからです。
     それぐらい、北海道の気温は低いわけですが、それでも道東沿岸しか海は凍りません。
     しかし、船舶に着氷するような海域は海氷が漂う海域でもあるのです。そのようなところで水を撒いたら、仰られているように逆効果でしょう。
     
    hush


  6. おうる様
    質問投げた自分が答えるのもなんですが…。
    高緯度地帯における船舶の除氷作業を、街中の雪かきと同レベルでとらえてはいけません。なにしろ波しぶきが凍り付いてできた分厚い氷の塊を、でっかいハンマーでかち割って海に捨てるという重労働なんですよ。たかだかスプリンクラー程度の水を撒いても、氷の厚みが増す結果しか生みません。
    のけ



793 当初は土佐と加賀が空母への改装予定艦であり、のちに天城と加賀に変更されたらしいです。
そこで疑問なのですが、
1.なぜ当初は加賀型が選ばれたのか。なぜ当初から天城型とならなかったのか
2.なぜ途中で天城型に変更されたのか
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい
天ヶ崎

  1. ×当初は土佐と加賀が空母への改装予定艦であり、のちに天城と加賀に変更されたらしいです。
    ○当初は土佐と加賀が空母への改装予定艦であり、のちに天城と赤城に変更されたらしいです。

    訂正します
    失礼致しました
    天ヶ崎


  2. >1.
    > 当初は土佐と加賀が空母への改装予定艦であり、

    これは具体的に何年何月頃のハナシでしょうか?
    駄レス国務長官


  3.  アジア歴史資料センターがリファレンス・コードC08051849800で公開している資料には、
     航空母艦 又日本ハ建造中ノ二艦加賀土佐ヲ航空母艦エ改造シタキ希望ヲ述ヘ、尚右二艦ハ改造後ノ噸数二万四千噸トナル見込ナリト附言シ、結局日本ノ希望通リ決定ス
     とあります。したがって、日本の当初案は加賀、土佐であったのかもしれませんが、これが本命だったかどうかは分かりません。というのは、続いて、
    米国ハ右航空母艦問題ニ関シ米国建造中ノ巡洋戦艦「サラトガ」「レキシントン」ノ二隻ヲ航空母艦ニ改造スルノ希望ヲ有スルモ専門家ニ依レハ右二隻ハ改造後ノ噸数二万七千噸ヲ超過スル恐アリ
     とあり、加賀級より空母改造に適したレキシントン級をアメリカが考えているのなら、より排水量の大きい天城級も視野に入れてもという匂いがします。
     そして、この文の後半には、代艦が規定トン数を越えた場合、20年後に適用される云々というようなことが書いてあるので、とりあえず排水量が規定トン数に収まる加賀級を提案したと、読むべきではないかと愚考致しております。
     
    hush


  4. >3
    日本側は長門、陸奥は確保でき加賀、土佐が廃艦をめぐる論点となる腹積もりでワシントン会議に臨み、予想に反して陸奥までが議論の対象となったことで混乱を来します。保有が絶望となった段階で、米英と同じく加賀型を空母改造候補として決議を迎えます。
    加賀型が空母改造対象となったのは年末までの議論の中で加賀型を何とかして残す検討の結果なのです。天城型へと変更されるのは、廃艦となる点では天城型も加賀型も運命に変わりは無く、より有望な艦として天城型に空母改造対象が変更されている、ということです。
    BUN


  5. >4
     そういうことでありましたか。
     御教示感謝申し上げるとともに、>3の文字を見落としていたがために、御礼申し上げるのが遅くなった点をお詫び申し上げます。
     
    hush


  6. ありがとうございます
    ただ当初から加賀型より有望な天城型が空母改造対象で無かった理由がわからないのですが、何か事情があるのでしょうか
    当初の段階では天城型を押すのは議論的に難しいとか(天城の方が建造が遅い)、加賀も天城も大きな視点で見ればどっちも大差無いという事なのでしょうか
    天ヶ崎


  7. 排水量とか関係無いでしょうか?
    暇人


  8. ワシントン会議に臨んだ加藤全権のタスクは「加賀型の存続」です。日本側から見ても廃艦を免れない天城型は眼中にありません。加賀型と天城型ではその点が大きく違います。

    「加賀型」を船体だけでも残そうという努力の結果が1922年1月の加賀型空母改造を含む決議なのです。
    この当時、日本にも航空母艦をどのような要目で建造すれば良いのか、といった定見はありませんから、後知恵で「良い空母」のベースたり得る天城型を選ぶことは考え難いのです。加賀型がどうあがいても廃艦と決まり、レキシントン型巡洋戦艦の空母改造が決まった時点から、加賀型と天城型の空母改造ベースとしての比較が始まる訳です。
    BUN


  9. なるほどありがとうございます
    加賀型を空母改造案決議は天城型改造と優劣比較した上での案かと思ってました
    加賀型と天城型の置かれた状況がよくわかりました
    天ヶ崎


  10. 皆様のご回答を拝読してふと思ったのですが、「加賀型を船体だけでも残そうと・・・」という思惑があったとのことですと、航空母艦に改造されて完成した「赤城」「加賀」「レキシントン」「サラトガ」の4大空母は、もし将来事情が変われば再改造して戦艦や巡洋戦艦に戻すつもりだったのでしょうか?
    Ranchan



792 何かの雑誌で見たのですが、真珠湾攻撃の時に在泊していた米戦艦は航空識別用(?)として主砲塔の天蓋を赤、白、青等に塗装していたというのは本当でしょうか?

それを前提とした質問なのですが、真珠湾攻撃時の戦艦オクラホマに割り当てられていた主砲塔の天蓋の航空識別カラーパターンをご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい(あまり間を置かずの質問ですみません)
GUY

  1. BB-37「オクラホマ」:(艦尾)←青・なし・赤・赤→(艦首)
    Ranchan


  2.  調べたので、念のため書いておくと、第1戦艦戦隊は前部主砲塔群天蓋を赤く塗っており、第4主砲塔をアリゾナは赤く、ネヴァダは白く、オクラホマは青く塗っていたそうです。
     出典は http://www.worldaffairsboard.com/showthread.php?t=61748 です。
     なお、実際の塗装例はアリゾナのしか見つかりませんでした。
     https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/65/6a/af/656aaf85126d232878894f701d84fe7d.jpg
     
    hush



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