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車両関係
Ans.Q

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250 最近気になったことがあったので質問させていただきます。

@一式七糎半自走砲について。
「一式は野砲をそのまま載せた為照準器が間接射撃用〜」という文章をよく見かけますが、間接射撃用と直接射撃用の照準器の違いとはなんでしょうか?潜望鏡型の照準器を全て間接射撃用照準器と呼ぶのでしょうか?


A一式十糎自走砲について
一式十糎自走砲は自走砲として運用するつもりだったそうですが、防盾の構造上仰角が25度までしかないことを考えるとビショップ自走砲のような射程の問題が出てきそうな気がしますが、この点日本陸軍はどう考えていたのでしょうか?

B四式十五糎自走砲について
四式の最大射程について知りたいです。
みかん段ボール

  1. Bだけ回答します。
    四式十五糎自走砲は仰角20度だそうですね。搭載砲である三八式十五榴の諸元は
    砲弾質量36kg
    口径149.1mm
    初速275m/s
    仰角43度
    最大射程5900m
    以上ですね。仰角20度で射撃すると射程4152mになります。
    しかし車体を傾斜のある場所に止めればこの限りではないでしょうね。
    超音速


  2. @ パノラマ眼鏡を持つものが間接射撃用です。潜望鏡型と言うことではありません。間接射撃では目標ではない標定点を使って照準をします。従って、眼鏡を正面以外の方向に向けられるようになっていなければなりません。これは直接射撃用の照準器ではできません。
    Taki


  3. Aについて
    九一式十糎榴弾砲は最大射程10800mで、一式十糎自走砲は最大射程9000mですね。
    そんなに問題になる射程の差でしょうか?
    反斜面射撃はできなくなりそうですけども。
    超音速


  4. 皆さんありがとうございます。
    >>Taki様
    ということは照準器と砲架が別々に動かすんですね。勉強になりました。

    >>超音速様
    ということはホロ車はドイツのグリレなど自走歩兵砲みたいな近接火力支援車輌なんですね。
    ホニIIは意外と射程あるんですね…
    みかん段ボール



249 初歩的な質問ですいません。
第2次大戦中の米軍戦車の大砲は76と75mmの2種類を使っていましたね。
76mmは対戦車威力が、75mmは榴弾威力が大きいということですが、威力の大きな76mm榴弾は作れなかったんですかね?76mm榴弾は炸薬量が少ないようですがそれなら増やせばいいのにと思います。
1・技術的に不可能だった。
2・可能だけどめんどくさいのでやらなかった。
3・そこまでするほど困ってなかった。
以上のうちどれかだと考えてますけどどうでしょうか?
酔来亭天福

  1. https://tankandafvnews.com/2015/10/21/from-the-vault-comparison-of-performance-of-75mm-and-76mm-tank-gun-ammo/

     こちらのデータによると、75ミリ榴弾は相対的に
    1.薬莢・装薬込みの重量が重い。
    2.高初速である。
    3.破片の数や飛び散る範囲が大きい。
    4.ただし高初速の弾の破片には速度がそのまま乗るので、
    静止した弾丸での試験結果より差は縮まるだろう。(コメント)
     ということです。そして続くコメントで、
    「爆発力の不足はいくらか余分に撃てば済むが、貫徹力が50%
    違うとなれば、戦闘効率への影響はそれ以上だろう」
    「有効弾を与えられる距離に差があれば、それは現場では
    どうにもならない」
     などと書かれています。
    https://en.wikipedia.org/wiki/76_mm_gun_M1#High-explosive_capacity
     によると、ここでの76mm M42A1はHE弾ではありますが、この砲では
    もっぱらHE弾が供給され、また撃たれていたようです。だから上記の
    ように、HEとしては低威力だが対戦車性能が高いので弾薬も込みで
    76mm砲の配備を推進すべしという話になっているのでしょう。

     戦車の車内に何発持てるかは生死を分けるかもしれない数字です。
    III号突撃砲なんかはもともと75mm砲なんか積まない車両に積んだ上に
    車高を抑えましたから、車内のフレームを現場で外し、弾薬箱を
    ぎっちり積んだりしています。重くて大きな弾丸を積むことは弾切れ
    リスクも生むということなのです。
    マイソフ


  2. うーんと、質問者さんは既存の低威力なM42ではなく、76mm用の榴弾をなんで新たに開発しなかったのかというのが趣旨かとおもいます。

    で、解答としては、2番に近いと思われます。
    既に生産設備まで整っているM42を変えようと思っても、すぐには変えられません。
    それに、榴弾威力が足りないのでしたら75mm砲装備や105mm砲装備と混成にすればいい話で、事実全部を置き換えるつもりは最初からありませんでした。
    というか、この混成にするつもりがあるからこそ、新規HEを作らなかったのではないかと思われます。

    で、じゃあ戦後に作らなかったのかと思い、若干調べましたがどうもやっていないようです。
    まあ、戦後ならば90mm装備のM26があるわけで、強いて新規開発の76mmHEを必要としなかったのだと思われます。
    朝鮮戦争時は全車両76mmに換装したそうですが、まだT34/85が跋扈してる頃でしたので、これはやむを得なかったのでしょうね。
    P-kun


  3. P-kunさん、マイソフさん回答ありがとうございました。
    質問の趣旨は2.P-kunさんのいうとおりです。書き方が悪かったですかね?
    威力不足問題は75mm・105mmとの組み合わせで解決しているとはいえ、大威力の76mm榴弾があればそれにこしたことはないだろうと思っての質問でした。

    1.マイソフさんの回答によると、76mmの榴弾威力の問題よりも75mmの対戦車威力ほうが重大な問題みたいですね。
    ご紹介のデータでは、75mm榴弾は76mm榴弾より2インチほど長いですね。ということは仮に新型76mm榴弾をつくったとしておそらく従来よりかさばり、それは弾数に影響するという深刻なデメリットを生むと。
    弾数のデメリットは念頭にありませんでした。それなら新型榴弾の開発に動かなかったのも納得です。
    酔来亭天福



248 馬匹牽引式の砲車・輜重車について、一般的なところを伺います。


前車の長柄は固定式で、単独の場合、前傾する。砲車の大架を持ち上げ、架尾の輪を前車後部の鈎に掛けて連結する。長柄を持ち上げて馬から吊すと前車も水平になる、というのが一般的だったという理解でよいでしょうか。
例は少ないとしても、複列の馬を繋ぐ長柄でなく単列の馬を繋ぐ舵棒形式の場合もありますが(ドラゴン 1/35 HORSE DRAWN 2.8cm sPzB41 AT Gun & JF8 LIMBER w/CREW 表紙絵、9lb cannon and limber)、輓鞍にくくりつける舵棒の場合、上下動しないと馬の大小によって前車の角度が変わってしまいます。角度調整後に固定するなどの工夫があったのでしょうか? それとも多少の傾きは無視したのでしょうか? 9lb cannon and limber では固定式に見えますが・・・


(駐車用チェーンではなく)走行時用のブレーキは、前車/砲車のどちらに、あるいは両方にあったのでしょうか? シュー/パッドや動力伝達(索/油圧)、操作装置などの形式はどのようなものだったのでしょうか?
北条喜八「一つ星 一銭五厘の男たちの話」に「砲手、制動桿踏め」という命令が出てきます。
砲の形式は見当たらず、年月日も読み解きにくいのですが、中部第40部隊つまり野砲兵第22連隊(ですよね)、昭和18年以降と読め、6頭立てです。


三八式輜重車の車輪は、ちゃんと、ハブがリム中心線より後退しているのでしょうか? 
http://www.wikiwand.com/ja/%E4%B8%89%E4%B9%9D%E5%BC%8F%E8%BC%9C%E9%87%8D%E8%BB%8A
の画像では平らに見えるのですが・・・


四年式十五糎榴のようにやたら幅広の車輪は、どのような意図による設計でしょうか? 泥濘地での沈み込みは軽減されますが、平坦地で馬匹への負担は増大し、平均速度が下がります。
また、三八式十五糎から同じく四年式十五糎榴への変化に見られるように、また他国でも、前車・砲車の合計重量が2トンを越えると分割される傾向と思われます。

他方、英サフォーク地方のワゴンは4トン積み、南アフリカ英植民地やアメリカの大型ワゴン(幌馬車、コネストガ)は8トン積み級まであり、かつ、極端に幅広の車輪ではありません。
限られた範囲で運行する前者はともかく、後二者は砲車と同様、悪路での運行も当然織り込まれているはずです。車輪の幅を広げるのではなく、板を敷くなどして対応するのが普通だったでしょう。
車輪幅と運用重量上限の差異はどのような理由によるのでしょうか?


  1. 自己レス。
    2 については、砲車にブレーキがあり、砲車に乗車した兵員が操作との示唆を土浦から頂きました。



247 九七式中戦車の右側計器板に関する質問です。

一式中戦車の車体右袖張出部前端(操縦席右横)には計器板が設置されています。
アバディーンの九七式中戦車改では、脱落しており形状が違いますが、同様の位置に存在したようです。
九七式中戦車の右袖張出部の明瞭な写真は、先日Taki様がtwitter上に掲示された車内写真が初見で、他に見たことがないのですが、これには計器板だけでなく取付金具も見られません。
また九七式中戦車断面図にも、当該箇所に計器板が書かれていません。
ただ中戦車教程には、計器板は操縦席左右に各1個有、右側計器板には電圧計、開閉器、ヒューズ等を設置と記述されています。
室内写真の車両は、操縦席左計器板、前方隔壁、変速機カバー等が無いので、右側計器板も撤去されている為に見られないのでしょうか。
ROM

  1. オーストラリアの新砲塔チハの操縦席の写真です。
    https://pbs.twimg.com/media/CzXrrmWUQAA3NYi.jpg
    残念ながら計器板は失われていて確認できません。ボルト(?)が3本、飛び出しているのが右側計器板が取り付けられていた跡かもしれません。
    それから以前アップしたチハ内部写真ですが、あの角度からでは計器板は見えないと思います。
    Taki


  2. Taki様 新しい写真をありがとうございます。
    現時点では、チハの右側計器板の詳細は不明と言うことですね。
    その他に中戦車教程には、右側計器板の説明とは別に、油温計が油圧計と共に”戦闘室右側壁に配置”と記述されていますので、3本のボルトらしき物は、それと関係が有るかもしれませんね。
    ROM


  3. 旧軍車両が続々とキット化されたり、専門月刊誌が存続しているのを見ると、興味を持つ人口はそこそこ有るようですが、net上で話題とされているのは殆ど性能や運用に関することばかりで、細部ディティールに関する会話やHP等での記述は極少数です。
    情報が少ないのは判るのですが、商業誌においても航空機ほどには取り扱うことがありません。
    多量生産され、長期且つ広範囲に使用された九七式中戦車でさえ、細部ディティールについては現在も判らない事だらけです。
    一般的に、細部形状にはあまり興味を持たない人が大多数なのでしょうか?
    ROM


  4. 日本戦車についての資料は少ないですから。細部のような即物的な話しは資料がなければ、「分からない」で終わりですから。

    ネットで多いのは、資料のほとんどない戦争後期の戦車開発についての話しですね。資料がないので、逆に推測や憶測で色々言えるからでしょう。
    Taki


  5. 初めて細部形状に興味を持つようになった人が情報を求める場合、まず月刊誌を見ると思いますが、同様に情報が少ない旧軍航空機の場合1〜2頁であれ細部ディティールの特集や細部写真集といったものが現在まで結構存在します。
    しかし旧軍車両の場合九七式中戦車であっても、細部ディティールについて現在判明している情報をまとめたものは、殆ど存在していないと言っても過言ではないと思います。
    それで、細部形状に興味を持たない人が多いからではないか、と思った次第です。
    ROM



246 銀河鉄道999を見てた時にふと思ったのですが、
現実の民間(国鉄・私鉄問わない)の鉄道会社で、機関車もしくは車掌車などに対空火器などを取り付けた(中間の車両は普通)「武装列車」というのはあったのでしょうか?
ホーク

  1.  ヒトラーやゲーリングの専用列車は、先頭に機関車2両、3両目と最後尾が対空砲車という構成が多かったようです。もっと危ないところに行く装甲列車だと、先頭には武装車両、あるいは何も載っていない爆発物などのはじき役無蓋貨車を配して、機関車は編成の中央近くに置いて保護しました。
    マイソフ


  2. そういう政府高官乗車列車の警備系というより、ガントラックや武装商船の鉄道版みたいな「通常物資・人員の輸送だが、攻撃されても反撃可能な装備をしている。」というイメージです。
    ホーク


  3. 満鉄に自衛用の列車が有ったとか。
    暇人


  4. ググって該当するネタを見つけることができませんでしたが、中南米だかアフリカだか中東だったか忘れましたが、貨車に土嚢を積んで機関銃で武装した簡易武装列車で列車強盗や地元民族武装集団からの襲撃に備えていたとかいう話はあったと思います。
    おうる


  5. 終戦の年、小型機の機銃掃射で列車が被害を受けるようになった頃に簡単な対空火器が積まれたようです

    東海道本線の昼間の主要貨物列車には機関車のすぐ後ろに高射機関銃を装備した屋根なしの貨車を連結し、
    2名の陸軍の兵士が乗るようになった    15歳の機関助士 P183 交通新聞社
    tu


  6. たまたま見つけたのですが、
    満鉄に「装甲列車」というのがありました。七五ミリ速射加農砲とか四一式山砲を積んだようです。これとは別に「臨時装甲列車」というのがあって、高射砲や高射機関銃、十五榴、機関銃などを装備しており、戦車のような砲塔が乗った写真がでてます。
    (佐山二郎さんの日本陸軍の火砲・迫撃砲噴進砲他)
    とおり


  7. 自分がちらっと見たのは、その列車以前の軍が金を出した物では無い物でした。
    セメントだかコンクリや鉄板で簡易装甲をしたという情報でした。固定武装が有ったかどうかは定かでは有りません。それ以上情報が出てきませんでした。
    暇人



245 九七式中戦車について質問です

@九七式中戦車はエンジンと戦闘室を仕切る隔壁はありましたか?

Aチハの車体前に付いてるハッチについて。アレは操縦手、機銃手用の脱出ハッチですか?それとも点検用のハッチですか?

あまりにも無知ですいません。
ほー

  1. 1.隔壁はあります。隔壁の写真です。
    http://www3.plala.or.jp/takihome/images/0015.jpg
    2.点検用です。ハッチを開くと操向装置があります。
    http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq100620c.jpg
    Taki



244 一式砲戦車について質問です。機動砲兵など砲兵科に配備された一式砲戦車でも、乗員は戦車兵用の作業着、ヘルメットを着用したんでしょうか?
ロンソン

  1. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E5%8D%81%E7%B3%8E%E8%87%AA%E8%B5%B0%E7%A0%B2#/media/File:Type_1_10.5cm_self-propelled_gun_Ho-Ni_II_01.jpg
    上の写真をご覧ください。前に立っているのは少年野砲兵で砲兵科です。
    Taki



243 水陸両用車について質問です。

水陸両用車は航行の都合上、前後のオーバーハング上に巨大な艇体を張り出させています。
あれは悪路を走行する上では非常に邪魔になる気がします。
最低地上高を上げれば航行時に車輪が抵抗になり(近年の民間向け水陸両用車では車輪を収納するようですが)ますし、航行性能を上げれば悪路走破性能が低下し、悪路走破性能を高くしようとすると航行性能が低下してしまいます。
どこかでバランスをとらなければならないとは思いますが、どちらも最低でもこれ以上の性能は確保したうえで…という点があるはずです。

特にどの車両と限定するわけではありませんが、軍用の装輪式水陸両用車ではどの程度の悪路走破性能が要求されるものでしょうか?
アプローチアングルとかデパーチャーアングルとかランプブレイクオーバアングルとか最低地上高とか段差乗り上げ能力とか・・・水陸両用ではない軍用装輪式輸送車両の要求性能とどの程度の差があるのか知りたいと思い質問させていただきました。
おうる

誰か答えて下さい。

242 戦車第14聯隊についてです。戦車第14連隊戦記が欲しくても手に入らないので質問させていただきます。
@クロードコル戦車隊との戦闘で、第二中隊のチハ改2輌が被弾炎上、その後の戦闘で第一中隊のチハ改1輌が破壊されたそうですが、この撃破された戦車から脱出した生存者は居たのでしょうか?

Aイワラジ会戦での活動の詳細

Bピリレへ脱出したあとの活動。

C終戦時の部隊の人数

実は私、どうも祖父の弟、つまり大叔父がとしてビルマで戦死したらしく、私自身も興味を持ち、古本将軍堂で戦車第14連隊戦記を買おう大学の合間にバイトをしていたのですがどうやら他の人が買ったらしく売り切れていましたので、詳しい人が居るであろうここで質問させていただきました。
大学生

  1. 1.第二中隊のチハ改から脱出した生存者はいます。生存者が戦車第14連隊戦記にその時の事を書いています。その後の戦闘の第一中隊のチハ改1輌とは、翌4月11日朝の戦闘の事だと思いますが、この時破壊された2輌のチハには生存者はいません。

    2.ここに詳細を書くことはできません。戦車第14連隊戦記をご覧ください。入手できないのであれば図書館でご覧ください。

    3.ピリレとはビリンの事だと思いますが、付近の警備を担当しつつ終戦を迎えています。

    4.終戦時の部隊の人数は分かりません。しかし、イワラジ会戦時の連隊の人員は約200名。その後の戦死者の数などから推定して、終戦時には100人程度ではなかったかと思います。


    Taki


  2. 終戦時の掌握兵員を212名としている記述があります。(「日本軍機甲部隊の編成・装備」グランドパワー2001年3月号)しかし、これは上に書いたことと矛盾します。もし、これが事実ならビリンで兵員の補充や編入があったのかもしれません。
    Taki



241 旧砲塔の九七式中戦車について質問です。新砲塔の場合、定員は四名で車長が装填手を兼ねるという話と中隊長車は五名で専属の装填手が居るという話を聞きましたが、旧砲塔の場合、装填手が付く場合はあったのでしょうか?それとも中隊長車でも関係なく砲手がそのまま装填するのでしょうか?
日本軍初心者

  1. 旧砲塔で装填手が付いたと言う話は聞いたことがありません。基本的に砲手が自分で装填し、車長は場合によっては手伝うという程度です。
    Taki



240 230に続き、九七式中戦車のパノラマ眼鏡に関する質問です。

まず便宜上、眼鏡本体側を固定座、車体側を取付座といたします。

239において、Taki様より眼鏡取付座の写真を3点提示いただきましたが、
その内の”Shinhoto.jpg”は、写影幕支持アーム部を外した九七式中戦車用パノラマ眼鏡取付座そのものである、と考えますが如何ですか。


ROM

  1. 1、”axishistory”の写真は九七式中戦車展望塔ドーム部分を底部から写したもののようですが、そうであればこれの手前側に、”Shinhoto.jpg”に見られる、レバーや切り欠き部分のある眼鏡本体取付金物組立が存在したのではないでしょうか。
    (逆に、ドーム部より下の部分を上部より撮影するとすれば、あの角度では背後に支持材が必要で、その場合中心部はこのような暗さには写らないと考えます。)

    2、”Shinhoto.jpg”にはレバー状部品が3点見られます。
    不鮮明では有りますが、”Hatch.JPG”にも同様の位置に見られます。
    特に猫耳の対面にあるものは判り難いのですが、有名な「せいき」の斜め前からの写真を見ると、はっきり確認できます。

    3、不鮮明では有りますが、”Hatch.JPG”にも穴の部分に切り欠きが確認できます。
    一眼カメラのバヨネット構造のようです。

    4、”Shinhoto.jpg”の猫耳部の2枚の三角板の間に、台形状に切り欠かれた補強リブが有りますが、”Hatch.JPG”にも見られます。
    (239では、写影幕支持アーム部を切断と書きましたが、よく見ますと、ビス止めされていたようです。)

    これらのことから、九七式中戦車用パノラマ眼鏡取付座そのものである、と考えました。

    ROM


  2. > これらのことから、九七式中戦車用パノラマ眼鏡取付座そのものである、と考えました。

    言われてみると、確かにそうかもしれません。パノラマ眼鏡取付座ははっきり写っている写真がないので、違うものの様に見えていました。

    もし、これが同じものだとすると、パノラマ眼鏡と二式潜望眼鏡の両方が使用できると言うことになります。しかし、パノラマ眼鏡と二式潜望眼鏡は固定座の形状が大きく違います。当時の資料でもパノラマ眼鏡は57mmチハ、二式潜望眼鏡はそれ以外のチハとなっています。本当に両方とも使用できたのでしょうか。

    Taki


  3. 239で述べましたように、二式戦車用潜望眼鏡本体固定座は鉛直面であり、パノラマ眼鏡取付座は水平面です。
    私の知る二式戦車用潜望眼鏡の写真では、取付金物の外された、ビス穴のみの平面ですので、取付方法を推定することも出来ません。
    ただ、二式戦車用潜望眼鏡本体固定座上辺から対物レンズまでの寸法が、パノラマ眼鏡取付座底面からドーム部展望穴までの寸法より大きければ、アタッチメントを工夫することにより、何とかなるようにも思います。
    (固定座より上部は、断面が変形三角おにぎり状です。この部分がパノラマ眼鏡取付座の穴に収まれば、の話ですが。)
    ROM



239 九七式中戦車の戦闘室隔壁エンジン部カバーについての質問です。

九七式中戦車断面図やタミヤの一式砲戦車を見ると、中央隔壁エンジン部に保護カバーが見られます。

私の知る当該箇所の写真で状態が良いものは、吉岡和篤氏の「写真集 九七式中戦車」に有る1枚のみですが、生憎その写真にはカバーは写っていません。
ただ、隔壁枠に筋状の汚れが見られることから、隔壁切り欠き部に沿った形状であることが推測できます。
その他の写真では、
Aberdeen、Nimitz博物館、Ropkey博物館のチハ改には、どれもカバーが写っていません。
Aberdeenのホニ及びQuanticoのホロでは、下部(起動電動機部)左舷側のみに、側板にかけて傾斜の付いたカバーが確認できますが、他のカバーは無いようです。

噴射ポンプ部保護カバー単体又は装着状態の写真は有るのでしょうか。


ROM

  1. 私も前から疑問に思っていましたが、カバーが確認できる写真は見当たりません。戦時中に米軍が撮影した写真をアップしましたが、これにもカバーはありません。
    http://i173.photobucket.com/albums/w43/Taki_21/Chi-Ha%20interior1.jpg

    ほんとにカバーがあったのだろうかという疑いが禁じえませんが、なかったとも言い切れないのが悩ましいところです。
    Taki


  2. Taki様 凄い写真を提示頂きましてありがとうございます。
    米軍写真が無ければ旧軍機材の詳細を知ることは出来ませんね。

    保護カバーは「写真集 九七式中戦車」の隔壁枠を見ますと、何らかの大きな物体の存在以外考えられませんが、無くても、車体の砲塔開口部(旋回枠)との位置関係、砲手の作業動線を考えると、噴射ポンプ操作リンケージへの接触以外に大きな支障は無い様にも思えます。(狭い空間での整備作業時に、カバーの存在が大きな障害になるのは容易に想像できます。)

    ところで、interior1.jpg と言うことは、2以降もあるのでしょうか。
    また、上記のほかにロシア、オーストラリア、インドネシアには状態の良さそうな車両が現存しますが、それらの戦闘室内写真を見た事が有りません。net又は書籍で見られるでしょうか。
    ROM


  3. いえ、2はありません。内部の写真はこれだけです。

    ほかの現存チハで隔壁部分の写っている写真は知りません。オーストラリアの新砲塔チハで戦闘室後部が少し写っている写真がありますが、それを見ると隔壁自体がなくなっているようです。カバーは確認できません。
    Taki


  4. Taki様 ありがとうございます。
    interior1.jpg 一枚のみの撮影とは考え難いので、他写真が世に出てくることを期待しています。
    航空機もそうですが、内部を知ろうとすると米軍写真が存在しないことには話にならない、と言っても過言ではありません。
    ROM


  5. 230のレスについての訂正ですが、二式戦車用潜望眼鏡の固定座は瓢箪形ではなく、猫耳型でした。写真をアップして置きました。
    http://i173.photobucket.com/albums/w43/Taki_21/Shinhoto.jpg

    Taki


  6. Taki様 詳細写真を提示頂きましてありがとうございます。

    写真の中央部に二式戦車用潜望眼鏡が取り付けられると言うことでしょうか。

    この金物は、各部分を見ても九七式中戦車用パノラマ眼鏡取付座の写影幕支持アーム部を切断しただけの物の様に見えます。

    固定方法が不明ですが、二式戦車用潜望眼鏡本体にある固定座は九七式中戦車用パノラマ眼鏡とは違って、本体外周鉛直方向に大きな方形平面として存在します。
    双方の寸法が不明なため、あくまで推測にはなるのですが、接眼部の大きさを基準として九七式中戦車用パノラマ眼鏡と二式戦車用潜望眼鏡を比較した場合、二式戦車用潜望眼鏡本体固定座の上辺は本体最大径に近く、パノラマ眼鏡取付座の穴径より大きい様に見えます。
    二式戦車用潜望眼鏡がここに取付られないのなら、他のどこに取付けるのか、と言う話にはなりますが。
    ROM


  7. > 写真の中央部に二式戦車用潜望眼鏡が取り付けられると言うことでしょうか。

    そのはずです。

    > この金物は、各部分を見ても九七式中戦車用パノラマ眼鏡取付座の写影幕支持アーム部を切断しただけの物の様に見えます。

    パノラマ眼鏡取付座とは全然違います。パノラマ眼鏡取付座は単なる円形ですが(下の写真)、これには2ヶ所に切り欠きがあります。
    http://forum.axishistory.com/download/file.php?id=387770&mode=view

    また、眼鏡を固定するためのものと思われるハンドルが2つ付いてますし、後ろに付いている金物も写影幕支持部とは全く違います。下記の写真と見比べてください。
    http://www3.plala.or.jp/takihome/Hatch.JPG



    Taki


  8. Taki様 新しい情報をありがとうございます。

    これはエンジンカバーとは別の事柄になりますので、新規項目として説明させていただきます。
    ROM


  9. エンジンカバーの写真ですが、
    J-Tank 第22號 9頁の写真の、車列の前に並べられている白い物体が、その噴射ポンプ部保護カバーではないでしょうか。
    この写真は、整備点検査察を受けている状況と言うことなので、車外に置かれていても不思議ではありません。
    大きさも妥当であり、外形(特に右端のもの)や色も矛盾はありません。
    構造的にもカバーと見て良いようです。
    ROM


  10. エンジンカバーの写真を、もう一枚見つけました。

    月刊グランドパワー 2016.2 110頁上 車体の横に置かれているものです。
    右のものは九七式中戦車断面図とは違い、前面のrの面取りが無く角ばっていますが、断面形は正に隔壁切り欠き部の形状そのものです。
    不明瞭ですが、左のものはrの面取りが有るように見えます。
    ROM



238 九七式中戦車について質問です。
この戦車のシーソー式サスペンションというのは、具体的にどんな利点、欠点があったんですか?
また、実際の運用評価はどんな感じですか?
ラーホス

  1. 長所は、それまでの八九式に比べて構造が簡単でメンテナンスや修理が楽だったこと。欠点は車輪がシーソー式に連結されているためにピッチングが起き車体の安定性に欠けること。九五式では特に問題で北満型が作られた。

    八九式と九七式の両方に乗っていた方の感想では、乗り心地は八九式の方が良かったそうです。

    Taki


  2. 訂正
    北満型が作られたのはピッチングの問題とは違うようです。しかし、九五式ではピッチングが特に問題でした。
    Taki


  3. シーソー式なのは「サスペンション(懸架装置)」ではなく「転輪配置(ボギー式)」だと思いますが……。
    九七式中戦車の転輪配置のメリットは1にある通りですが、横置き式コイルスプリングを用いたサスペンションはスプリングの長さによって性能が変わります(基本的に長い方が良い)。
    九七式中戦車の横置き式コイルスプリングは縦に置くよりもスプリング長を大きく取ることができ、ボギー式の転輪配置はサスペンションを横置き式コイルスプリングのメリットを活かすためにセットで採用されたものと思います。
    この転輪のボギー式配置と横置き式コイルスプリングによるサスペンションの組み合わせは五式中戦車まで踏襲されていますので、運用実績は良好だったものと考えられます。
    薩摩



237 九四式六輪自動貨車について質問です。よく九四式六輪自動貨車について、積載制限が1.5tと性能不足と言われてます。牽引に限った話では2t以上ある88式対空砲など牽引してますが、荷台に積載する場合、過積載などされたことはあるんでしょうか?

  1. 九四式六輪自動貨車の取説によると状態の良い路上での積載量は2.5トンで、1.5トンは悪路での積載量となっています。悪路といっても実際は千差万別ですから、1.5トンという数字は大まかな目安程度のものではないかと思います。
    名無し



236 ドイツ軍が2次大戦中に使用したカール自走臼砲の名前に関する疑問です。

2号車のヴォータンと3号車のオーディンは同じ神の名前の別の読み(ドイツ語と英語転写の古ノルド語)であり、発音的にも紛らわしいと思うのですが、なぜこのような命名をしたのでしょうか?
2号車が最初聖書ネタでエーファ(イヴ)とつけられたあと改名されたのは知っていますが、だったらヘイムダルやフライヤとかでもいいのでは?

ホーク

  1.  もちろん、北欧神話のオーディン(オージン)とゲルマン神話のヴォータンは同一の神格です。そして、英語のWednesdayがヴォータンの日を意味するように、ゲルマン・北欧神話の重要な神です。
     しかし、ヴァグナーの楽劇「ニーベルングの指環」に登場するヴォータンは、神々の長とされてはいますが、かなり性格の異なるものです。そこに描かれているヴォータンは、オーディンよりも人間臭い存在だからです。たとえば、オーディンは知恵を得るために片目を差し出しましたが、こちらのヴォータンは妻を得るためにです。そして、巨人に城を造らせるために、その妻の妹を代償として与えるという嘘をつき、ついには神々の没落を招きます。
     ところで、このヴァグナーのヴォータンのほうが一般的であったと思われる時代があります。ナチスの支配していたドイツです。ヒトラー自身が、若い時から食費を切り詰めてまでヴァグナーのオペラを聴きに行くようなワグネリアンでしたし、ゲッペルスは、ヴァグナーの音楽をプロパガンダとして大いに利用していました。したがって、当時のドイツ人がヴォータンと聞くと、ヴァグナーのそれであり、オーディンでは
     御質問にもございますが、II号車は、当初、エーファ(イヴ)と呼ばれていました。そして、I号車はアダムからバルドルになっていますが、この変更は、当時のドイツの情勢の影響ではないかと愚考いたしております。
     ヒトラーはカソリックの信者で、その生涯にわたって教会税を払い続けたそうですが、それは国民の多数を占めるキリスト教の信者との対立を避けるためであり、実は教会を嫌っていたそうです。したがって、アダムとイヴという名よりも、ゲルマン神話、さらに言うならば、「アーリア人種」の神話世界に基づくもののほうがふさわしいと考えられたのではないかと思っております。そうした中で、ヴァグナーの描いたヴォータンは、同一神格のオーディンが既に使われているにも関わらず、適格と判断されたのではないかと思っています。
     しかし、それが格好いいから、そのように呼ばれたのかというと、若干、疑問があります。バルドルは美青年として描かれる光の神でありますが、ロキの奸智により殺される神でもあるからです。いわば悲劇の主人公なのですが、ヴァグナーの描くヴォータンも、オーディンとは異なり、自ら悲劇を引き寄せた存在です。それに、IV号車のトール、VI号車のツィウはよいとしても、V号車のロキはどうなのだろうかと思うのです。もちろん、ロキは、重要な神ですが、邪神でもあるからです。つまり、ジークフリートと名づけるならともかく(そういう列車砲はありますが)、バルドルとかヴォータンと呼ぶというのは、どうなのだろうと思うのです。
     カール自走臼砲は大威力ではあるものの、射程と発射速度に問題があり、移動にも多大な労力を要する上に迅速性に欠け、自軍が圧倒的に優勢な状況でないと使用できない代物でありました。反撃された際には、一方的に撃たれる危険性があるからです。
     http://karl.geraet040.net/karl_nicknames.html
     上記のサイトによりますと、これらの愛称は、いつ、誰がつけたか判然としないそうです。もしかすると、アダムとイヴはまずいとなった時に、ヘイムダルやフライヤ(ちょっとだらしない神ですが)ではなく、バルドルとヴォータンという悲劇の神の名を選んだのは、運用部隊が自らを卑下した、あるいは、上部部隊が揶揄しての命名とも考えられます。
     もちろん、上記は私の推測でしかありませんし、その推測が大きく外れたことも多いので、あまり信用されないほうがよいのかもしれませんが、このようにでも考えないと、疑問点が解消できないと思っております。

     なお、発音が紛らわしいという点については、駆逐艦朝霧と天霧は全然違うわけですが、ジェーン年鑑等でAsagiri、Amagiriと出てくると、一瞬、分からなくなるのと同じで、ドイツ人にとってはWotanとOdinはまるっきり違う発音であるのだろうなと思っております。
     
    hush


  2.  御免なさい。一部脱落しております。
     オーディンではなかったと思われます。
     と、して下さい。
     
    hush



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