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255 WW2の多くの戦車の各部装甲厚が書かれた本を紹介して貰えないでしょうか?
デスコン

誰か答えて下さい。

254 九七式炊事自動車について質問です。
九七式炊事自動車はどれくらい生産され、どこに配備されたのでしょうか?
みかん段ボール

  1. 九七式炊事自動車は独立混成第1旅団(第1次の機械化旅団の方)やその他の幾つかの師団に数輌ずつ配備されました。生産数は不明ですが、少なかったと言われています。
    Taki


  2. 回答ありがとうございます。

    独立混成第一旅団ですか。やっぱり軍直属の旅団は装備でも優遇されるものなんですかね。

    やはり生産数は少ないのですか…
    ひとつ気になったのですが、日本軍の炊事事情ってどんな感じなんですかね?
    ドイツみたいに馬で引くようなフィールドキッチンとかは存在していたんですか?

    みかん段ボール


  3. フィールドキッチンのような炊事車は日本軍にもありました。一応、1個大隊に2輌1組が配備されることになってました。
    http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14010295600

    しかし、戦場写真などではあまり見ないです。日本軍と言うと飯盒炊爨と言うイメージですね。
    Taki



253 大戦中、日本陸軍は様々な75o級火砲を搭載した車両を試作していますが、最も身近な高初速75o砲だったはずの八八式高射砲を対戦車用に転用・車載しなかったのは何故でしょうか。水平射撃をすると駐退機が壊れるからでしょうか。
茶蘭花

  1.  http://www.warbirds.jp/ansq/3/C2000028.html
     仰られるとおりのようです。
     
    hush


  2. 八八式高射砲が平射を禁止されていたのは壊れるからではなく、爆風が危険だからと佐山氏の本にはあります。実際、八八式高射砲には平射用の○特もあります。
    八八式高射砲が戦車砲として使用されなかったのは後座量が大きかったことが理由だと思われます。水平射撃時の後座量が140センチもあり、車載に適さなかったと、「陸軍機甲部隊」(学研)にあります。
    Taki


  3. hush様、Taki様、ありがとうございました。
    過去ログ見たら、水平射撃でなくても、対空射撃でも連続で撃つと壊れたそうですね。どれだけヤワに出来てたのやら。
    茶蘭花


  4. 駐退器は強化すればいいし後座長は短縮すればいい。大きな反動は車体の質量で吸収できるでしょう。
    しかし改造範囲が大きくなり開発に時間がかかると思われます。
    そして開戦後は軍需方針として船舶・航空機の開発・生産が最優先であり、陸戦兵器のそれはかなり下位でした。陸戦兵器のなかでも優先順位は戦車より対空火器のほうが上でした。
    高射砲を野砲がわりに使うことはできますが、その逆はほぼ無理です。
    日本軍の大砲の生産リソースは限られており、高射砲の戦車砲転用は対空火力を削ってしまうリスクがあるのです。
    技術的理由もあるでしょうが、こうした資源配分上の理由も大きいんではないでしょうか?
    超音速


  5. 五式75mm戦車砲は四式75mm高射砲を転用したのですから、そういう配慮が働いたとは言えないと思います。もっとも、五式75mm戦車砲の場合、四式75mm高射砲の生産が優先されて、終戦までに数門しか完成しなかったと言われていますが。
    Taki


  6. 単純に前線で重くて使い物にならんと
    ほぼ烙印を押されかかっていた90式野砲が余っており、
    だが機動力を付ければ使い物になると判っていたので
    そっちを使っただけのような気がしますが、如何でしょう?
    88式ですと水平射するのにやはり改造必須ですから。

    ちなみにとある戦時中の書籍に、
    「そもそも高射砲を水平で打つこと自体が間違いなのである。」
    という記載があります。
    実際の所正しいか正しくないかはさておいて、
    戦時中にそういう認識をされていたとは思います。
    P-kun


  7. チヌ等搭載に付いては後座長の問題が有り90式野砲(減らすにしても90式の方が有利)。それ以降になると更なる威力の火砲となり4式高射砲という感じで、たまたま選定されなかったのでは無いでしょうか?
    暇人


  8. 九〇式野砲が最初に搭載されたのは一式75mm自走砲です。これは機動砲兵用の車輌ですから野砲を搭載するのは当然の流れです。チヌは急遽開発された車輌なので、一式75mm自走砲の搭載砲を転用しました。後座長の短縮は一式75mm自走砲に搭載するときに行われていて、チヌでは駐退機には手を加えていません。
    五式75mm戦車砲はさらに威力の大きい砲が必要になって開発されましたが、四式高射砲の方が初速は大きいし後座長は小さくて、八八式よりも明らかに有利です。結局、八八式には出番がなかったと言うことになります。
    Taki


  9. 八八式高射砲が平射を禁止されていたのは駐退器の問題ではなく対空射撃しか考慮されていない為、砲架と脚の接続部が平射で破壊する可能性があるためです。
    ノモンハンの戦例集には平射をする場合は脚部の水平に留意して砲床を工事する様指示されています。
    八八式高射砲○特はコンクリートに台座にボルト止めですが俯角7度迄射撃できます。
    本来の○特には通常の脚が付属し、野戦仕様にした際は平射を禁じられています。
    まあ日本の火砲に駐退器の問題は付きものなんですが.....
    poran



252 T-34やIS-2に関して質問です。
これら戦車は満州侵攻時、戦線投入されていたのでしょうか?
基本的にはBT-7、T-26が活躍したと思っていたのですが、友人から「満州侵攻時はT-34/85やIS-2も戦闘に参加した」と聞きました。実際に編成、満州での活動なども知りたいです。

みかん段ボール

  1.  https://en.wikipedia.org/wiki/T-34
     こちらには、満洲侵攻時にT34-85が使用されたと記されてはいますね。
     IS2については確認が取れませんでした。
     
    hush


  2. 1945年の赤軍の大規模な突破作戦でこの2車種が投入されていない事自体珍しいと思います。
    英語版wikiの満州侵攻の記述を見ると侵攻作戦に参加した4841台の戦車にIS-2が含まれているようですし、日本兵の体験記にも目撃例があります。https://en.wikipedia.org/wiki/Soviet_invasion_of_Manchuria#cite_ref-20
    また、Alexander Chubachin著のMilitary Chronicle ”IS-3”の記述によると第68重戦車連隊の21両のIS-3が満州侵攻に参加したようです。
    アロヲ


  3. 遅くなって申し訳ありません。
    皆さま回答ありがとうございます。とりあえず、IS戦車やT-34戦車は参加していたけど前線ではBT戦車やT-26の方が多かったということでしょうか。
    みかん段ボール


  4. BT系やT-26が主力だったのはノモンハンの頃で、これらの戦車は大祖国戦争でほとんど消耗してしまいました。満州侵攻は大部分がT-34で重要拠点の突破用にIS系の重戦車・重自走砲が少数いるイメージです。
    アロヲ



251 WW2のドイツの戦車は故障しやすいと言われますが、トーションバー式サスペンションも要因の一つでしょうか?
現代では、トーションバー式サスペンションが主流という事は、WW2時の技術では扱いきれない物だったのか?と思いました。
デスコン

  1. トーションバー式サスペンションの大きな弾性が移動/停止時に起こすロッキングモーションにより大きな負担>故障に繋がるのは現代でもありますので、確かに主流とは言えますが、新規開発は油気圧かそのハイブリッドかと思います。
    ドイツ軍もこのことは十分承知していたので、パンターでダブルビーム式を採用したりしていますが、トーションバーのメリットである大重量を支えられる割に構造が簡易でコストがかからない、をあえて複雑にするので色々試したものの概ね重戦車はシングルで行く方向に落ち着いていますね。
    saizwong


  2. 回答有り難うございます。
    もう一つお尋ねしたいのですが、性能、製造コスト、整備性などをかんがえてWW2時、最良のサスペンションは何だと思いますか?
    デスコン


  3. 同じ種類のサスペンションでも細かく違い、整備性も国によって事情が異なるので一概には言い難いですね。重量がある程度ある車両にはトーションバーが有効に働くので流れとしてそちらに行きがちだった、というぐらいでしょうか。
    ただ、超重戦車に外装スプリングを使う例は多いので、これは重量が過大になるとむしろトーションバーを交換する余裕がないと見られたためではないかと推測します。
    大戦時の中戦車ぐらいまでだと製造数と交換の容易さの関係から外装式スプリングや板バネは大戦の最後まで主流でしたし。
    ww2時どのサスペンションが最良か?はどの戦車が最良か?に直結するので、「ドイツが重戦車なんか持ってても無駄。そこそこのサイズの中戦車と突撃砲の数を揃えるべし」という考えならドイツでは板バネが戦時中ベストだったという言い方もできるのじゃないかと思います。
    saizwong


  4. 細かい所まで有り難うございました。
    オリジナルの兵器設計(?)のサスペンションで息詰まっていたのですが、
    トーションバーと板バネを使い分けてみようと思います。
    デスコン



250 最近気になったことがあったので質問させていただきます。

@一式七糎半自走砲について。
「一式は野砲をそのまま載せた為照準器が間接射撃用〜」という文章をよく見かけますが、間接射撃用と直接射撃用の照準器の違いとはなんでしょうか?潜望鏡型の照準器を全て間接射撃用照準器と呼ぶのでしょうか?


A一式十糎自走砲について
一式十糎自走砲は自走砲として運用するつもりだったそうですが、防盾の構造上仰角が25度までしかないことを考えるとビショップ自走砲のような射程の問題が出てきそうな気がしますが、この点日本陸軍はどう考えていたのでしょうか?

B四式十五糎自走砲について
四式の最大射程について知りたいです。
みかん段ボール

  1. Bだけ回答します。
    四式十五糎自走砲は仰角20度だそうですね。搭載砲である三八式十五榴の諸元は
    砲弾質量36kg
    口径149.1mm
    初速275m/s
    仰角43度
    最大射程5900m
    以上ですね。仰角20度で射撃すると射程4152mになります。
    しかし車体を傾斜のある場所に止めればこの限りではないでしょうね。
    超音速


  2. @ パノラマ眼鏡を持つものが間接射撃用です。潜望鏡型と言うことではありません。間接射撃では目標ではない標定点を使って照準をします。従って、眼鏡を正面以外の方向に向けられるようになっていなければなりません。これは直接射撃用の照準器ではできません。
    Taki


  3. Aについて
    九一式十糎榴弾砲は最大射程10800mで、一式十糎自走砲は最大射程9000mですね。
    そんなに問題になる射程の差でしょうか?
    反斜面射撃はできなくなりそうですけども。
    超音速


  4. 皆さんありがとうございます。
    >>Taki様
    ということは照準器と砲架が別々に動かすんですね。勉強になりました。

    >>超音速様
    ということはホロ車はドイツのグリレなど自走歩兵砲みたいな近接火力支援車輌なんですね。
    ホニIIは意外と射程あるんですね…
    みかん段ボール



249 初歩的な質問ですいません。
第2次大戦中の米軍戦車の大砲は76と75mmの2種類を使っていましたね。
76mmは対戦車威力が、75mmは榴弾威力が大きいということですが、威力の大きな76mm榴弾は作れなかったんですかね?76mm榴弾は炸薬量が少ないようですがそれなら増やせばいいのにと思います。
1・技術的に不可能だった。
2・可能だけどめんどくさいのでやらなかった。
3・そこまでするほど困ってなかった。
以上のうちどれかだと考えてますけどどうでしょうか?
酔来亭天福

  1. https://tankandafvnews.com/2015/10/21/from-the-vault-comparison-of-performance-of-75mm-and-76mm-tank-gun-ammo/

     こちらのデータによると、75ミリ榴弾は相対的に
    1.薬莢・装薬込みの重量が重い。
    2.高初速である。
    3.破片の数や飛び散る範囲が大きい。
    4.ただし高初速の弾の破片には速度がそのまま乗るので、
    静止した弾丸での試験結果より差は縮まるだろう。(コメント)
     ということです。そして続くコメントで、
    「爆発力の不足はいくらか余分に撃てば済むが、貫徹力が50%
    違うとなれば、戦闘効率への影響はそれ以上だろう」
    「有効弾を与えられる距離に差があれば、それは現場では
    どうにもならない」
     などと書かれています。
    https://en.wikipedia.org/wiki/76_mm_gun_M1#High-explosive_capacity
     によると、ここでの76mm M42A1はHE弾ではありますが、この砲では
    もっぱらHE弾が供給され、また撃たれていたようです。だから上記の
    ように、HEとしては低威力だが対戦車性能が高いので弾薬も込みで
    76mm砲の配備を推進すべしという話になっているのでしょう。

     戦車の車内に何発持てるかは生死を分けるかもしれない数字です。
    III号突撃砲なんかはもともと75mm砲なんか積まない車両に積んだ上に
    車高を抑えましたから、車内のフレームを現場で外し、弾薬箱を
    ぎっちり積んだりしています。重くて大きな弾丸を積むことは弾切れ
    リスクも生むということなのです。
    マイソフ


  2. うーんと、質問者さんは既存の低威力なM42ではなく、76mm用の榴弾をなんで新たに開発しなかったのかというのが趣旨かとおもいます。

    で、解答としては、2番に近いと思われます。
    既に生産設備まで整っているM42を変えようと思っても、すぐには変えられません。
    それに、榴弾威力が足りないのでしたら75mm砲装備や105mm砲装備と混成にすればいい話で、事実全部を置き換えるつもりは最初からありませんでした。
    というか、この混成にするつもりがあるからこそ、新規HEを作らなかったのではないかと思われます。

    で、じゃあ戦後に作らなかったのかと思い、若干調べましたがどうもやっていないようです。
    まあ、戦後ならば90mm装備のM26があるわけで、強いて新規開発の76mmHEを必要としなかったのだと思われます。
    朝鮮戦争時は全車両76mmに換装したそうですが、まだT34/85が跋扈してる頃でしたので、これはやむを得なかったのでしょうね。
    P-kun


  3. P-kunさん、マイソフさん回答ありがとうございました。
    質問の趣旨は2.P-kunさんのいうとおりです。書き方が悪かったですかね?
    威力不足問題は75mm・105mmとの組み合わせで解決しているとはいえ、大威力の76mm榴弾があればそれにこしたことはないだろうと思っての質問でした。

    1.マイソフさんの回答によると、76mmの榴弾威力の問題よりも75mmの対戦車威力ほうが重大な問題みたいですね。
    ご紹介のデータでは、75mm榴弾は76mm榴弾より2インチほど長いですね。ということは仮に新型76mm榴弾をつくったとしておそらく従来よりかさばり、それは弾数に影響するという深刻なデメリットを生むと。
    弾数のデメリットは念頭にありませんでした。それなら新型榴弾の開発に動かなかったのも納得です。
    酔来亭天福



248 馬匹牽引式の砲車・輜重車について、一般的なところを伺います。


前車の長柄は固定式で、単独の場合、前傾する。砲車の大架を持ち上げ、架尾の輪を前車後部の鈎に掛けて連結する。長柄を持ち上げて馬から吊すと前車も水平になる、というのが一般的だったという理解でよいでしょうか。
例は少ないとしても、複列の馬を繋ぐ長柄でなく単列の馬を繋ぐ舵棒形式の場合もありますが(ドラゴン 1/35 HORSE DRAWN 2.8cm sPzB41 AT Gun & JF8 LIMBER w/CREW 表紙絵、9lb cannon and limber)、輓鞍にくくりつける舵棒の場合、上下動しないと馬の大小によって前車の角度が変わってしまいます。角度調整後に固定するなどの工夫があったのでしょうか? それとも多少の傾きは無視したのでしょうか? 9lb cannon and limber では固定式に見えますが・・・


(駐車用チェーンではなく)走行時用のブレーキは、前車/砲車のどちらに、あるいは両方にあったのでしょうか? シュー/パッドや動力伝達(索/油圧)、操作装置などの形式はどのようなものだったのでしょうか?
北条喜八「一つ星 一銭五厘の男たちの話」に「砲手、制動桿踏め」という命令が出てきます。
砲の形式は見当たらず、年月日も読み解きにくいのですが、中部第40部隊つまり野砲兵第22連隊(ですよね)、昭和18年以降と読め、6頭立てです。


三八式輜重車の車輪は、ちゃんと、ハブがリム中心線より後退しているのでしょうか? 
http://www.wikiwand.com/ja/%E4%B8%89%E4%B9%9D%E5%BC%8F%E8%BC%9C%E9%87%8D%E8%BB%8A
の画像では平らに見えるのですが・・・


四年式十五糎榴のようにやたら幅広の車輪は、どのような意図による設計でしょうか? 泥濘地での沈み込みは軽減されますが、平坦地で馬匹への負担は増大し、平均速度が下がります。
また、三八式十五糎から同じく四年式十五糎榴への変化に見られるように、また他国でも、前車・砲車の合計重量が2トンを越えると分割される傾向と思われます。

他方、英サフォーク地方のワゴンは4トン積み、南アフリカ英植民地やアメリカの大型ワゴン(幌馬車、コネストガ)は8トン積み級まであり、かつ、極端に幅広の車輪ではありません。
限られた範囲で運行する前者はともかく、後二者は砲車と同様、悪路での運行も当然織り込まれているはずです。車輪の幅を広げるのではなく、板を敷くなどして対応するのが普通だったでしょう。
車輪幅と運用重量上限の差異はどのような理由によるのでしょうか?


  1. 自己レス。
    2 については、砲車にブレーキがあり、砲車に乗車した兵員が操作との示唆を土浦から頂きました。



247 九七式中戦車の右側計器板に関する質問です。

一式中戦車の車体右袖張出部前端(操縦席右横)には計器板が設置されています。
アバディーンの九七式中戦車改では、脱落しており形状が違いますが、同様の位置に存在したようです。
九七式中戦車の右袖張出部の明瞭な写真は、先日Taki様がtwitter上に掲示された車内写真が初見で、他に見たことがないのですが、これには計器板だけでなく取付金具も見られません。
また九七式中戦車断面図にも、当該箇所に計器板が書かれていません。
ただ中戦車教程には、計器板は操縦席左右に各1個有、右側計器板には電圧計、開閉器、ヒューズ等を設置と記述されています。
室内写真の車両は、操縦席左計器板、前方隔壁、変速機カバー等が無いので、右側計器板も撤去されている為に見られないのでしょうか。
ROM

  1. オーストラリアの新砲塔チハの操縦席の写真です。
    https://pbs.twimg.com/media/CzXrrmWUQAA3NYi.jpg
    残念ながら計器板は失われていて確認できません。ボルト(?)が3本、飛び出しているのが右側計器板が取り付けられていた跡かもしれません。
    それから以前アップしたチハ内部写真ですが、あの角度からでは計器板は見えないと思います。
    Taki


  2. Taki様 新しい写真をありがとうございます。
    現時点では、チハの右側計器板の詳細は不明と言うことですね。
    その他に中戦車教程には、右側計器板の説明とは別に、油温計が油圧計と共に”戦闘室右側壁に配置”と記述されていますので、3本のボルトらしき物は、それと関係が有るかもしれませんね。
    ROM


  3. 旧軍車両が続々とキット化されたり、専門月刊誌が存続しているのを見ると、興味を持つ人口はそこそこ有るようですが、net上で話題とされているのは殆ど性能や運用に関することばかりで、細部ディティールに関する会話やHP等での記述は極少数です。
    情報が少ないのは判るのですが、商業誌においても航空機ほどには取り扱うことがありません。
    多量生産され、長期且つ広範囲に使用された九七式中戦車でさえ、細部ディティールについては現在も判らない事だらけです。
    一般的に、細部形状にはあまり興味を持たない人が大多数なのでしょうか?
    ROM


  4. 日本戦車についての資料は少ないですから。細部のような即物的な話しは資料がなければ、「分からない」で終わりですから。

    ネットで多いのは、資料のほとんどない戦争後期の戦車開発についての話しですね。資料がないので、逆に推測や憶測で色々言えるからでしょう。
    Taki


  5. 初めて細部形状に興味を持つようになった人が情報を求める場合、まず月刊誌を見ると思いますが、同様に情報が少ない旧軍航空機の場合1〜2頁であれ細部ディティールの特集や細部写真集といったものが現在まで結構存在します。
    しかし旧軍車両の場合九七式中戦車であっても、細部ディティールについて現在判明している情報をまとめたものは、殆ど存在していないと言っても過言ではないと思います。
    それで、細部形状に興味を持たない人が多いからではないか、と思った次第です。
    ROM



246 銀河鉄道999を見てた時にふと思ったのですが、
現実の民間(国鉄・私鉄問わない)の鉄道会社で、機関車もしくは車掌車などに対空火器などを取り付けた(中間の車両は普通)「武装列車」というのはあったのでしょうか?
ホーク

  1.  ヒトラーやゲーリングの専用列車は、先頭に機関車2両、3両目と最後尾が対空砲車という構成が多かったようです。もっと危ないところに行く装甲列車だと、先頭には武装車両、あるいは何も載っていない爆発物などのはじき役無蓋貨車を配して、機関車は編成の中央近くに置いて保護しました。
    マイソフ


  2. そういう政府高官乗車列車の警備系というより、ガントラックや武装商船の鉄道版みたいな「通常物資・人員の輸送だが、攻撃されても反撃可能な装備をしている。」というイメージです。
    ホーク


  3. 満鉄に自衛用の列車が有ったとか。
    暇人


  4. ググって該当するネタを見つけることができませんでしたが、中南米だかアフリカだか中東だったか忘れましたが、貨車に土嚢を積んで機関銃で武装した簡易武装列車で列車強盗や地元民族武装集団からの襲撃に備えていたとかいう話はあったと思います。
    おうる


  5. 終戦の年、小型機の機銃掃射で列車が被害を受けるようになった頃に簡単な対空火器が積まれたようです

    東海道本線の昼間の主要貨物列車には機関車のすぐ後ろに高射機関銃を装備した屋根なしの貨車を連結し、
    2名の陸軍の兵士が乗るようになった    15歳の機関助士 P183 交通新聞社
    tu


  6. たまたま見つけたのですが、
    満鉄に「装甲列車」というのがありました。七五ミリ速射加農砲とか四一式山砲を積んだようです。これとは別に「臨時装甲列車」というのがあって、高射砲や高射機関銃、十五榴、機関銃などを装備しており、戦車のような砲塔が乗った写真がでてます。
    (佐山二郎さんの日本陸軍の火砲・迫撃砲噴進砲他)
    とおり


  7. 自分がちらっと見たのは、その列車以前の軍が金を出した物では無い物でした。
    セメントだかコンクリや鉄板で簡易装甲をしたという情報でした。固定武装が有ったかどうかは定かでは有りません。それ以上情報が出てきませんでした。
    暇人



245 九七式中戦車について質問です

@九七式中戦車はエンジンと戦闘室を仕切る隔壁はありましたか?

Aチハの車体前に付いてるハッチについて。アレは操縦手、機銃手用の脱出ハッチですか?それとも点検用のハッチですか?

あまりにも無知ですいません。
ほー

  1. 1.隔壁はあります。隔壁の写真です。
    http://www3.plala.or.jp/takihome/images/0015.jpg
    2.点検用です。ハッチを開くと操向装置があります。
    http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq100620c.jpg
    Taki



244 一式砲戦車について質問です。機動砲兵など砲兵科に配備された一式砲戦車でも、乗員は戦車兵用の作業着、ヘルメットを着用したんでしょうか?
ロンソン

  1. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E5%8D%81%E7%B3%8E%E8%87%AA%E8%B5%B0%E7%A0%B2#/media/File:Type_1_10.5cm_self-propelled_gun_Ho-Ni_II_01.jpg
    上の写真をご覧ください。前に立っているのは少年野砲兵で砲兵科です。
    Taki



243 水陸両用車について質問です。

水陸両用車は航行の都合上、前後のオーバーハング上に巨大な艇体を張り出させています。
あれは悪路を走行する上では非常に邪魔になる気がします。
最低地上高を上げれば航行時に車輪が抵抗になり(近年の民間向け水陸両用車では車輪を収納するようですが)ますし、航行性能を上げれば悪路走破性能が低下し、悪路走破性能を高くしようとすると航行性能が低下してしまいます。
どこかでバランスをとらなければならないとは思いますが、どちらも最低でもこれ以上の性能は確保したうえで…という点があるはずです。

特にどの車両と限定するわけではありませんが、軍用の装輪式水陸両用車ではどの程度の悪路走破性能が要求されるものでしょうか?
アプローチアングルとかデパーチャーアングルとかランプブレイクオーバアングルとか最低地上高とか段差乗り上げ能力とか・・・水陸両用ではない軍用装輪式輸送車両の要求性能とどの程度の差があるのか知りたいと思い質問させていただきました。
おうる

誰か答えて下さい。

242 戦車第14聯隊についてです。戦車第14連隊戦記が欲しくても手に入らないので質問させていただきます。
@クロードコル戦車隊との戦闘で、第二中隊のチハ改2輌が被弾炎上、その後の戦闘で第一中隊のチハ改1輌が破壊されたそうですが、この撃破された戦車から脱出した生存者は居たのでしょうか?

Aイワラジ会戦での活動の詳細

Bピリレへ脱出したあとの活動。

C終戦時の部隊の人数

実は私、どうも祖父の弟、つまり大叔父がとしてビルマで戦死したらしく、私自身も興味を持ち、古本将軍堂で戦車第14連隊戦記を買おう大学の合間にバイトをしていたのですがどうやら他の人が買ったらしく売り切れていましたので、詳しい人が居るであろうここで質問させていただきました。
大学生

  1. 1.第二中隊のチハ改から脱出した生存者はいます。生存者が戦車第14連隊戦記にその時の事を書いています。その後の戦闘の第一中隊のチハ改1輌とは、翌4月11日朝の戦闘の事だと思いますが、この時破壊された2輌のチハには生存者はいません。

    2.ここに詳細を書くことはできません。戦車第14連隊戦記をご覧ください。入手できないのであれば図書館でご覧ください。

    3.ピリレとはビリンの事だと思いますが、付近の警備を担当しつつ終戦を迎えています。

    4.終戦時の部隊の人数は分かりません。しかし、イワラジ会戦時の連隊の人員は約200名。その後の戦死者の数などから推定して、終戦時には100人程度ではなかったかと思います。


    Taki


  2. 終戦時の掌握兵員を212名としている記述があります。(「日本軍機甲部隊の編成・装備」グランドパワー2001年3月号)しかし、これは上に書いたことと矛盾します。もし、これが事実ならビリンで兵員の補充や編入があったのかもしれません。
    Taki



241 旧砲塔の九七式中戦車について質問です。新砲塔の場合、定員は四名で車長が装填手を兼ねるという話と中隊長車は五名で専属の装填手が居るという話を聞きましたが、旧砲塔の場合、装填手が付く場合はあったのでしょうか?それとも中隊長車でも関係なく砲手がそのまま装填するのでしょうか?
日本軍初心者

  1. 旧砲塔で装填手が付いたと言う話は聞いたことがありません。基本的に砲手が自分で装填し、車長は場合によっては手伝うという程度です。
    Taki



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