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242 スターリングラードの戦いにおいて、ドイツ情報部はどの様な理由でソ連には攻撃中のドイツ軍に反撃をする兵力は無いと判断していたのでしょうか。また、敗戦後に、かかる判断を下した情報部の担当者の処罰は有ったのでしょうか。

UK

  1.  1942年7月1日のハルダー参謀総長戦時日誌には、「ゲーレン中佐が敵情を報告。継ぎ合わされた偵察結果は、どのような図解も与えることができなかった」と記されています。6日には、[進撃が好調であることについて]「敵戦力を過大評価していて、攻勢が本当に成功しているのか、敵が不可逆的な壊滅を避けて意図的に退いているのか判断がつかない」と述べられています。
     7月15日のゲーレン報告は、新たに作戦参加がわかった敵部隊リストのほか、「Agent reports on intensive enemy operations for the protection of Stalingrad.」という内容を含んでいました。ソヴィエトがあらゆるものを投入してスターリングラードを守るつもりであるということです(16日の日記でハルダーがそのように記述しています)。16日には総統付副官のホイジンガ、ハルダー、ゲーレンがスターリングラードで予想される戦闘について話し合い、ロストフとスターリングラードの戦いを、一方が決着しないまま同時進行させる必要があるという見通しを得ました。

     しかし、そうなりませんでした。ソヴィエトがスターリングラードをまず守るということは、コーカサス方面は現状で頑張れと言うことで、7月24日にソヴィエト軍はロストフを捨てて東に退き、それらの部隊もスターリングラード方面軍に加えました。

     退き続ける北コーカサス方面軍でしたが、7月30日の総統会議でヨードルは「コーカサスの運命などスターリングラードで決まるのだから、A軍集団の戦力をB軍集団に回すべきだ」と述べました。ハルダーは「俺は同じことを6日前総統にもOKWの連中にも言ったが、OKWの連中は何を言われたのか理解できなかったようだ(大意)」と書いています。ヒトラーも決心がつかなかったのか、ハルダーは両軍集団司令官と電話会談をしています。A軍集団のリストはGD師団の割愛を渋ったとハルダーは明記しています。沙汰やみになったようですが、B軍集団の敵手を見くびっていた様子ではありませんね。

     8月2日にゲーレンはハルダーに、7月に未知のソヴィエト師団が歩兵54個、機甲54個確認されたと報告しました。

     こんな調子で、「ソ連には攻撃中のドイツ軍に反撃をする兵力は無い」という報告は上がっていませんし、ハルダーもそう思ってはいませんでした。

     ハルダーに代わったツァイツラーは直情的なところのある人物で、自分がこの局面を何とかしないといけないという思いを直接ヒトラーにぶつけました。ドイツ軍はソヴィエト軍に対してもう数的優勢を持っていないのだという意見具申をしたのです。この基礎数字を整えたのがゲーレンだとツァイツラー自身が戦後に書いています。

     特に、11月に突破口となったルーマニア軍などの同盟軍が弱体であることについて、ツァイツラーはあらためて指摘しましたが、これはカイテルの回想録にも当時共有されていた懸念点として挙がっています。また、ツァイツラーによれば、11月上旬にはソヴィエト軍がルーマニア軍部隊を目標にしているという情報がもたらされていました。

     これらすべてを無視して、ドイツ語版のWikipediaは「ウラヌス作戦」の項でゲーレンのFHOがソヴィエトにはもはや作戦予備はないと報告していたと書いています。日本語版はほぼ英語版の翻訳ですが、ドイツ語版の参照文献リストと英語版参照文献リストの質と量を比較すると、まあドイツ語版が思い込みで物を書いていても無理はないかなと思います。ドイツ人にとっては読みたくない項目なのかもしれません。ちなみにロシア語版には、作戦が感づかれていたなどということは一言も書いてありません。

    http://www.stalingrad.net/russian-hq/operation-uranus-detailed/operation-uranus-detailed.htm

     Wolf Höpperという人が、スターリングラード戦について書かれた本を何冊も読んで、記事をまとめています。ソヴィエト橋頭堡への増援は隠しきれておらず、他にも無線傍受などで様々な兆候がつかまれ、10月16日にはルーマニア第3軍は軍直轄砲兵部隊をいくらか増援されています。パウルス自身も含め、他の部隊もそれなりに予備を作り出す努力をしましたが、規模的に全く太刀打ちできませんでした。ゲーレンもまるっきり無罪というわけではなく、ソヴィエト軍の攻勢はもっと小規模なものだと推定していたとHöpper氏は書いています。
    マイソフ


  2. Hoepper氏のウムラウトが文字化けしています。
    マイソフ


  3. どうも有り難う御座いました。
    UK



241  warbirdsの過去ログをみると大日本帝国の空軍創設の可能性について論じられています。
 法規的に空軍の創設は大日本帝国憲法の憲法改正しないでも可能だったんでしょうか?
らいおん

  1. 問題となる条文を自分で読んでみてください。
    「陸海軍」となっているので「陸海空軍」にはできない、というのがその根拠です。
    この「陸海軍」を「全軍」を意味するとして解釈できれば改正の必要は無いでしょう。様々な空軍独立論の中で憲法条文問題に触れているのがごく一部である理由がこれです。
    BUN


  2. BUNさま的確なご回答をありがとうございました。
    らいおん



240 戦艦の看護長ってどれぐらいの階級なんですか?
セイン

誰か答えて下さい。

239 この質問は削除されました
管理者


238 北条喜八「一つ星 一銭五厘の男たちの話」やオンラインで読める従軍体験記等で、日本陸軍に於いて、馬の糞尿で汚れた寝わらを素手で掃除した旨の記述を見かけます。
初年兵を鍛える、あるいはいじめる方法としてはさもありなん、とも思うのですが、

・フォークや角スコップは高価ではない、ことにフォーク代用品は木の枝で簡単に作れる
・当時、破傷風の原因菌は単離され知られていたが、今のような有効な治療法はなく、破傷風リスクは陸軍として意識していたのではないか
・たとえ三装用の丙の程度でも、洗っても落ちない黄ばみは被服係下士官に歓迎されなかったのではないか

等を考え合わせると、組織としてあまり得策とも思えません。
馬糞や寝わらの取扱についての陸軍の公式な考えと、素手で扱わせるのは一般的だったのか、例外であったかの等の実態はどのようなものだったのでしょうか。

誰か答えて下さい。

237 艦隊軍医長、艦隊主計長、艦隊機関長って何をする役職なんですか?
sas

  1.  艦隊機関長、戦隊機関長については、雨倉孝之著「日本海軍機関科将校の反乱未遂:組織を揺るがした差別問題の真相(2015年PHP研究所)」の中に、「個々の艦艇を束ねた戦隊や艦隊に、別に機関長を置いても、直接彼が各艦の機関運転に下知を下すこともできなければ、またそんな必要もサラサラなかった」とあります。
     つまり、これらの役職については、艦隊にしろ、戦隊にしろ、絶対不可欠な存在ではなかったわけです。しかし、機関科の将校にとっては、ないと困る存在でした。というのは、これらがないと、機関大佐の就く役職が極端に狭くなるからです。
     機関中佐までは、各艦の機関長としての需要があります。しかし、その上、機関大佐となると艦の機関長というわけにはいきません。太平洋戦争末期になると、少将の艦長も出てきて、大佐の機関長も誕生しますが、それまでは、機関長が艦長と同じ階級というわけにはいきませんし、機関将校のモチベーションの問題もありますので、機関中佐で打ち止めにしてというわけにもいきません。当然、機関大佐、あるいは将官になる人物が出てくるわけですが、そういう人々が就く役職として創出されたものが艦隊機関長、戦隊機関長なわけです。
     実際の役割としては、前出書にありますが、平時の訓練計画や機関関係の各種会議の主催者になるのが主たる任務であり、機関参謀のように司令官に助言するのような役割は担っていなかったようです。そして、御質問にございます艦隊主計長、艦隊軍医長においても似たようなものではなかったかと愚考いたしております。
     なお、以上は旧日本海軍におけるもので、他の国々の海軍においてはどうであったかは存じません。ただ、デーニッツの配下で潜水艦隊機関長を務めたゴートやテッドセン大佐は、重要な位置にあったようです。もっとも、艦隊機関長と訳されていますが、原語を存じませんので、全然違う役職名であったとして驚きはしませんが。
     
    hush


  2. なんか……パッとしない職業なんですねぇ。
    sas



236 昔読んだ仮想戦記で、上官の厳しい訓練で部下たちが失神したり嘔吐したりしているシーンがあったのですが
現実でこれらが原因で事故が起こった場合、責任の所在は「部下の体調を考慮しないで無茶な訓練をした上官」にあるのでしょうか?
けい

  1. こういうのを見るとどう思われるでしょうか。
    ttp://www.ntv.co.jp/every/70th/every/

    また、訓練の種類によっては死者が出る危険な訓練も有りました。
    暇人


  2. 済みません。時代と国にもよりますね。現代の民主主義国家では責任問題に発展するのでは無いでしょうか。
    暇人



235 零戦の32型と52型は、21型より翼の横幅が短くなっていますが、その形状はストンと切り落としたような32型、丸みを帯びた52型とそれぞれ異なります。
生産性は32型の方が良さそうに見えますが、この形状の違いによって、飛行性や操縦性などにどのような違いがあるのでしょうか。



ザックリジャパン

  1. 申し訳ありません。
    書き込む場所を間違えました。
    管理人様、お手数おかけしますが、削除していただけたらありがたいです。
    ザックリジャパン



234 つい先日の空自機と中国軍機の報道を見ていて思ったのですが、WW2後にスクランブルした側をスクランブルさせた側が撃墜した(今回だと中国軍機が空自機を撃墜するような)事例ってあるのでしょうか?
スクランブルした側が実際はどうあれ「領空を侵犯した」として相手を撃墜した例は色々とありますが、その逆は無いような気がしたので
PlanB

誰か答えて下さい。

233 連合艦隊司令長官には2名の従兵がつくそうですが階級はどれぐらいでどんな仕事をされていたのでしょうか?
ラセン

  1.  http://blogs.yahoo.co.jp/junsuke201022/24752814.html
     仕事の内容は上記の通りですが、上級の下士官で品行方正の者となっていたようです。
     
    hush


  2. 意外と階級は高いのですね。
    もうちょっと下だと思ってました。
    ラセン



232 日本海軍の艦隊司令部では主席参謀や航空参謀などいろんな種類の役職があり他にも艦隊軍医長や艦隊主計長という役職もあったそうですが一体何種類あってそれぞれどういう仕事をなさっているのですか?また、副官等はどれぐらいの階級で何人ぐらいが誰につくのでしょうか?
kurigohan

  1. こうした場合に基礎になるのは「定員表」です。過去ログにあります。
    http://www.warbirds.jp/ansq/7/G2000471.html

    「定員表」は公文書であり、改訂されるたびに「内令提要」と呼ばれる部内刊行物に収載されました。そして最新版と過去からの改正履歴をまとめた大部の書物「海軍制度沿革」が数年に1回刊行されました。

     定員表は基本的に人事ルールであり、現場の判断で決めればいいことは書かれていませんが、正式な役職の改廃となると改正の必要があります。「航空参謀」というのは司令官が「この件は誰担当」と振るものですから定員表にはありません。何と何を兼ねるかは現場の事情次第ですから、航空担当の参謀はどの司令部にも必要だとしても、他に仕事を抱えた参謀がついでにやっている司令部もあったかもしれません。

     1941年当時、黒島大佐は連合艦隊の首席参謀でした。定員表に「参謀」と書いてある人たちの間で最先任ということです。大戦中に連合艦隊司令部に参謀副長という役職ができ、やっていることは同じだったと思いますが、たぶんこのときは定員表を改正する内令が出ただろうと思います。


    マイソフ


  2. なるほど、ありがとうございます。
    これらの刊行物はどこかで閲覧することは出来るのでしょうか?
    kurigohan


  3. 海軍制度沿革の多分最後のもの(1939-1940発行)は、「国立国会図書館デジタルコレクション」に入っているので自宅で読めます。「海軍制度沿革」でググると出ます。もちろん図書館で持っているところもあります。

     上記説明、ちょっと記憶違いがありました。個別に、修正点だけを書いた「内令」が五月雨式に発せられ、数年に1回「現時点で最新の規程集」として内令提要が出て、さらに変更点がわかるように昔のものも載せたのが海軍制度沿革です。

     アジア歴史資料センターのサイトで「内令」も読めますが個別のものを読んでも「新たに作った定員表」以外は変更点しか書いてないので意味が分かりません。「昭和19年10月31日現在 10版 内令提要」という、最後に出版(といっても機密書類ですが)を予定していた内令提要の原稿はアジア歴史資料センターのサイトにあり、手書き修正だらけですが、内令をひとつずつ探すよりましです。


    マイソフ


  4. 了解しました。
    kurigohan



231 三菱長崎造船所のヒエラルキーについて解説をお願いします 所長の玉井勅任官(中将待遇)と海軍から派遣されていた首席監督官平田周二大佐ではどちらの方がヒエラルキーは上なのでしょうか? 所内マウンティングと社会的地位に差はあったのでしょうか?
Ad.シュペー

  1.  玉井勅任官というのは長崎造船所の第11代所長であった玉井喬介のことでしょうか。もしそうだとすれば、この人が所長になるまでに勅任官になり得たのだろうかと思うのです。というのは、勅任官というのは軍人も含めて、官吏でないとなりえないはずですだからです。しかし、玉井は、東京帝国大学卒業後三菱造船所に勤め、副所長を経て所長になっています。したがって、三菱一筋に勤めた人物かと思うのですが、官に仕えた期間があったのでしょうか。
     郷里の偉人でもありますので、情報源等も含めて御教示戴ければ幸甚です。
     
    hush


  2. hashさん こんにちは これは僕の勘違いか早とちりの可能性がありますね 申し訳ありません
    Ad.シュペー


  3. 情報源ですが吉村昭 著「戦艦武蔵」です P47に玉井氏が海軍技術嘱託として勅任官(中将待遇)に任ぜらるという記述があります 本書解説に記録文学とあり鵜呑みにしてしました 僕の読解力不足の可能性もあります
    Ad.シュペー


  4.  吉村昭が書いているのですか。御免なさい、それなら、まず、間違いはないでしょう。記録文学の中でも、豊田穣のように間違いだらけの記述をする人もいますが、概ね、そういうものを書いておられる人は、歴史学者なみに文献に当たったり、関係者に取材しており、吉村昭は特に正確な記述で定評がありますので。
     いや、本当に申し訳ない。「戦艦武蔵」はどこかにあると思うので、捜して読んでみます。
     
    hush


  5. ありがとうございます 同書には副所長(稲垣・小川の両氏か?)や技師の方々もそれぞれ勅任官・奏任官に任ぜられたとあります 一つ気になるのは同書P14に「所長の玉井氏を勅任官待遇とする」という記述がある事です このあたりが気になるところではあります
    Ad.シュペー


  6.  「戦艦武蔵」が見つからなかったので、購入してきました。その結果、3にお書き戴いたように海軍技術嘱託として部分を確認しました。官吏として採用されずとも、嘱託として採用される場合があるというのは、盲点というか、無知というか、気付かなかったのは恥ずかしい限りであります。
     さて、どこかの本で、造船会社の社長が海軍の機関に呼ばれ、守衛に来意を伝えると、延々と寒天の中で待たされたという話が載っておりました。つまり、守衛室に招き入れられることもなかったわけです。これは、軍人が一番偉く、一兵卒であっても、会社の社長よりも偉いという意識が働いたものでしょう。
     また、官報に記載される叙任欄の順番は、同一日の発令である場合、陸軍、海軍、そして一般官吏であり、帝国大学総長であっても、海軍の最下位の後に掲載されています。
     その一方で、陸軍に徴用された船舶の船長が、陸軍側の下士官があまりに無茶な要求をするので、海軍予備士官の制服を着て抗議しにいったところ、態度が急変したという話もあります。
     つまり、軍隊は階級社会ですので、階級が一つ違えば、上位の命令には絶対服従であり、その流れの中では、階級を持たない者に対しては、極端にいえば、何をしてもよいという風潮があったわけです。
     そういうことを踏まえて上で、所内の上下階級についてですが、民間会社ですので、発注先の海軍の監督官のほうが上であるはずです。これは、勅任官とか、奏任官とかは関係なく、発注先の人を上位に置くのは社会人としての常識だからです。ですから、造船所に発注先の企業の人が派遣されてきて、その人が課長に過ぎなかったとしても、社長以下鄭重に扱うのと同じです。
     ただ、その課長が、造船所の社長と同席した場合、上席を譲られても、簡単には座らないように、勅任官になった所長の扱いには、監督官としても一定の配慮は必要であったろうと思われます。
     あまり回答になっていないかと思いますが…。
     

    hush


  7. hushさん こんばんは 本の購入・熟読までしていただき申し訳ありません 感謝の気持ちでいっぱいです 解説大変解り易く僕のような浅学者には嬉しいです 当時の時代背景といいますか・・軍人の社会的地位が窺えて凄く興味深いです 本当にありがとうございます
    Ad.シュペー



230 日本陸軍の軽機関銃分隊や、擲弾筒分隊について質問です。
日本陸軍は、米軍みたいに小銃分隊が本来は無い、と聞きました。(実際は軽機関銃や擲弾筒の不足で小銃小隊が編成されたようですが。)
ここでふと疑問に思ったんですが、擲弾筒分隊の場合、小銃兵は居ましたか?
また、擲弾筒分隊の編成は何名、そのうち誰がなんの役割を持っていたんですか?
ラーホス

  1.  どうやら軽機も擲弾筒も持ってない分隊のことを小銃分隊と呼んでおられるようですが、BARは軽機に入りますか……というやつです。もうひとつの問題は、Babbitt Rifle Grenadeは擲弾筒に入りますかというもので、この小銃擲弾が擲弾筒に入るならアメリカ軍の歩兵分隊は全部擲弾筒分隊だということになります。

     第1次大戦のフランス軍(イギリス軍も大同小異)が2個分隊(半小隊)を単位として、その中で役割を分けて分業させたのを日本陸軍では「戦闘群戦法」と呼んで吸収しました。だから日本陸軍は当初、2個分隊に1丁の割で軽機関銃を配備しました。

     戦線の向こう側のドイツ軍でも予備兵士を含めた8人くらいのチームでEinheits-Gruppeを組んでMG08/15軽機を運用し、それに入らなかった兵士たちが偵察や突撃を担当するようになりました。

     第1次大戦初期にはしゃもじに爆薬を乗っけたような手製手榴弾が使われ、爆薬に慣れた兵士しか扱えませんでした。ですからどう呼ばれるにせよ、はっきり「手榴弾班」に当たるものがあったのですが、標準的な手榴弾が普及するにつれ編成上はっきりわかる手榴弾班は消えていきました。

     50〜60ミリの軽迫撃砲を第2次大戦開戦当時のドイツ軍もアメリカ軍も歩兵中隊直轄で(アメリカ軍の場合、3個班を1個'heavy'小隊にまとめて)持っていました。これを擲弾筒と同列の兵器と見るなら、「歩兵小隊とは別に、中隊直轄で持ってた」というべきですね。

     日本も含め、多くの国で軽機関銃かそれに代わるBARのような支援火器を(物資不足でできなくなるまで)全歩兵分隊に宛がう方向に進みましたが、擲弾筒やそれに相当する兵器を小隊にまで分けるか中隊でまとめるかは国それぞれでした。

     さて、日本陸軍における分隊の人数ですが、ひとつには決まっていません。それはそれぞれの部隊を戦時動員する動員令で個別に決まります。歩兵操典などでは、分隊の人数が何人であっても適用できる記述にするよう苦心しているのが感じられます。日中戦争期の甲師団なら15名、乙師団なら13名といった具合です。

    http://www.ibiblio.org/hyperwar/Japan/IJA/HB/HB-3.html#I

     甲師団の1個中隊には3個小隊、3個擲弾分隊しかないんですが、擲弾筒は4筒持つことになっています。乙師団は3筒です。歩兵操典の擲弾筒の項目には射手、第1弾薬手、第2弾薬手しか出てきませんから、分隊長を除いても予備の兵士兼弾薬運搬係が相当数混じっていたわけで、これが余分の擲弾筒も運用することになったでしょう。

     ドイツ軍の例を見ても、戦前のMG08/15軽機の4人チームでは水タンクを運ぶ4人目だけ小銃を持っているとか、重機だと射手以外小銃持ってるとか、対戦車銃の弾薬手は小銃を持っているとか、50mm軽迫撃砲チームの兵士は小銃を持ってないとか、「どこまで小銃を持っているか」については一概に言えません。

     じつは日本陸軍では小隊から下は建制ではありません。中尉・少尉は「○○連隊附を命ス」という辞令で着任し、現場の裁量で任に就くので、小隊や分隊を増減させたり組み替えたりすることもできます。甲師団なら編成時、各分隊15名分の兵士が各中隊に来るというだけです。ですから小銃を持った兵士がいくらか弾薬手に交じっていたかどうかは、日本陸軍のルールとしては、そうしてもよいし、そうしなくてもよいのです。
    マイソフ


  2. 舊軍の場合、歩兵は原則として全員が小銃兵で、全分隊が小銃分隊です。其の小銃兵の中から輕機射手擲彈筒射手同彈藥手と云った割當を命ぜられた兵が小銃を持たないと云うだけでして、小隊の中に輕機と擲彈筒が装備されれば其れを扱う事になった分隊が輕機分隊、擲彈筒分隊と便宜上呼ばれました(實際は第〇分隊なのですが)。中隊長が出戰の際に其の時々の状況に適した編成を組むので、マイソフさんのおっしゃるが如く、きっちりとこうでなければならないと決まっている譯ではありません。しかし大體此れに従って置けば間違いは餘りないと云う標準的な編成というものはあるので、中隊長も演習などでは教科書通り編成をするのですが、特に大隊長から指示があったり、野戰や應急出動など臨機應變の工夫が必要な状況になれは自分の裁量で編成を行い装備の配備を行いました。
    あるめ


  3. 乙編成小隊は基本的に総員54名で1〜3分隊は軽機1小銃12 第4分隊が擲弾筒3小銃10と考えれば宜しいかと。
    支那事変の戦訓では擲弾筒は中隊長が一括して指揮をするのが重要とあります。

    支那事変は軽機分隊2(軽機各1) 小銃分隊1 擲弾分隊1(擲弾筒1〜2)の編成が良くあった様です。
    尚、軽機と擲弾筒手は「特業」で死傷した場合に備へ小銃手に教育を施す必要大との戦訓も見られます。
    poran



229 朝鮮戦争が勃発後に警察予備隊が発足し、旧軍の軍人が大勢入隊したとのことですが 旧軍での階級に相当する警察予備隊の階級に無条件で就けたりしたんでしょうか?
それとも能力試験などがあって不合格者は入隊不可だったのでしょうか?

旧軍の将校など高位の軍人は能力や行動に問題のある人物が多かったとの話をよく聞きますが戦時中の行動や能力を考慮して 階級を与えられたりしたんでしょうか?
ご教授ください。よろしくお願いします。
おでんくん

  1.  下記URLのpdfファイルの8枚目(28ページ)以降によれば、ほぼ旧日本陸軍時代の階級に相当するものに就いているようです。
     http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j8_3_02.pdf
     ただ、これに例外があったかどうかは分かりませんでしたし、能力試験等が実施されたかどうかも分かりませんでした。
     不充分な回答ですが、お許しください。
     
    hush


  2. hush様 回答ありがとうございます。

    このような資料が公開されていたんですね。
    参考になりました。ありがとうございます。


    おでんくん



228 夜分遅くに失礼します。
先日、狙撃兵について調べていたところ「前哨狙撃兵」なる兵種を知りました。wikipediaのページで何をしている兵種なのかは理解できたのですが、いまいち存在意義がよくわかりません。
どなたかご教授頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
スピリット

  1.  回答がつかないようなので・・・

     狙撃兵というのは元々銃の扱いに慣れた猟師や狩猟経験者に遠距離射撃に特化した任務を与えることから生まれた兵科です。
     猟師なので銃の扱いにも慣れていますが、ほかにも獲物を探し、追跡し、発見し、観察し、相手に気取られないように接近することも得意な人物が多いのが特徴です。
     「そんな特技があんだったら、隠密行動が必要な偵察任務につかせりゃ他の奴らよりよっぽど上手くできるんじゃね?」という発想から生まれたのが前哨狙撃兵です。
     敵に見つからないように敵に接近し、敵を発見(必要があれば追跡)し、敵情を観察し、それを報告するのが任務です。戦闘になれば戦いもしますが、狙撃兵なら弾の無駄遣いもしないので、単独(または少人数での)行動には適しています。
     ただ、一般狙撃兵が狙撃を主任務にするのに対し、前哨狙撃兵は軸足を偵察に移していて実際に狙撃することは少なく、一般狙撃兵からは「あんなの狙撃兵じゃねえや」と見做されてしまうようです。
    おうる


  2.  狙撃は多かれ少なかれ特別な射撃技量を要しますが、グレードは様々です。アメリカ陸軍でも海兵隊でも、歩兵分隊には選抜射手がいます。最新型の自動小銃は500mまでの距離で威力を発揮する、短くて軽いものになりました。選抜射手はこれより遠距離まで届く銃を扱います。もちろん当たるように撃つのですが、選抜射手は分隊の数だけ必要になります。

     もっと特別な銃を持ち(状況と時期により、選抜射手と同じ銃も使います)、遠距離射撃に当たる狙撃手は、高い成績を示し、腕が落ちないよう絶えず訓練を続けます。必要とされ、また訓練で好成績を上げた狙撃手の人数が少なければ高いレベルの司令部で、人数が多ければ中隊本部にすら管理されるかもしれません。

     アメリカ海兵隊は各大隊本部に scout sniper platoonがあり、その訓練には一般的な狙撃手の訓練(撃つ、隠れる、近づく、距離を目測する、夜間や悪条件下の単独行動)に加えて、砲兵のために状況を報告することも含まれます。platoonといっても、狙撃手は10名もいれば多いほうのようです。大隊長は彼らを狙撃のほか、射撃を伴わない偵察・観測にも出します。ただしこれらは任務として明示されているだけで、他の兵種の狙撃兵がそうした任務を行わないということではありません。また、最寄りの訓練部隊が遠いなどの事情で、陸軍と海兵隊の狙撃兵訓練コースには他の兵種からも参加があるようです。

     おそらくscout sniperには、射撃の腕はもとより一定以上としても、特に忍耐強く、つらい偵察行をやり抜けそうな人が選抜されているのではないでしょうか。そしてこれもまた、陸軍狙撃兵に負けず劣らず要求される資質でもあるようです。
    マイソフ


  3. なるほど。狙撃兵に求められる能力が偵察兵に必要なそれと被っていたが故に生まれた兵種、ということなんですね。
    お二方ともありがとうございました。またお世話になるかと思いますが、よろしくお願いします。
    スピリット



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管理者 F4U : Ans.Q v1.40 [Shigeto Nakazawa]