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179 将来の独ソ戦に備えてソ連が兵器製造設備を東方に移転させつつあったのは有名ですが、具体的には、どの様な設備をどの様な手段、態様で移転しつつあったのでしょうか。(溶鉱炉、鋳鍛鋼設備、化学反応槽は勿論のこと、多少とも重量があったり、据付に精度を必要としたり、稼動にエネルギーを必要としたりする設備は、移転不能と思われますが。しかし、これら設備が無いと、多少とも近代的な武器は製造不可能と思われますが)
UK

  1.  総括かつ簡便な内容の説明文と地図ならば『タイムズアトラス第二次世界大戦歴史地図』の「ソ連1940-1945年」のページに載っています。原著は30年ほど前の本ですから研究が進展しているであろう、とは思います。
    バツ


  2. どうも有り難う御座いました。調べてみます。
    UK


  3. http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=22442
    http://www.globalsecurity.org/military/world/russia/industry-stalin-evacuation.htm
    http://michaeltfassbender.com/nonfiction/the-world-wars/big-picture/the-transfer-of-soviet-factories-during-world-war-ii/
    http://www.gammathetaupsilon.org/the-geographical-bulletin/1970s/volume10/article4.pdf

     やはり製鉄関係の工場は移しにくかったようなことが書いてあります。チェリャビンスクと近隣の秘密都市マグニトゴルスクは疎開できる工場が疎開してくる一方、製鉄能力を高めましたが、それはもちろん戦前の基礎の上に立っていました。そしてやはり、1945年の鋼生産量(全土)は1940年の2/3くらいに落ちていたと書いてあります。
    マイソフ


  4. どうも有り難う御座いました。
    UK



178 ドイツについてお尋ねしたいのですが[s.Pz.B.41]や[s.SS-Pz.Abt.101]のように兵器コードや部隊略称で頭文字が小文字で始まる呼称を見受けます ドイツ語の知識が無くどのような理由で小文字で始まるのか解らないのです 宜しくお願いします
Ad.シュペー

  1. ごく簡単に申しますと、ドイツ語では「名詞は頭文字を大文字にする」という原則があるため、文章の途中であっても名詞の頭は大文字になります。他方、形容詞や動詞などはそうではありません。
    質問者様が例に挙げられた「s.Pz.B.41」を省略せずに書くと「2,8-cm-schwere Panzerb(ue)chse 41」であり、schwer は「重い」という形容詞、Panzerb(ue)chse は Panzer 「装甲、戦車」と B(ue)cse 「小箱、猟銃」 の複合名詞です。
    つまり最初の「s」は名詞ではないため小文字になっている、と解釈するのがよろしいかと存じます。
    INS


  2. INS様 こんにちは 回答いただきありがとうございます なかなか調べても解らなかったので大変助かりました 知識が無いというのは恥ずかしいと感じました 永年の疑問を解決していただきありがとうございました
    Ad.シュペー



177 軍隊生活での裁縫についてお尋ねします。
陸海軍問わず、兵隊(水兵)になった方々の体験談などでボタン付けなどの繕い物に苦労したというのはよくあります。
で、wikiの尋常小学校の項目を見ますと授業内容で「裁縫(女子のみ)」とあります。軍隊へ行って必要ならば男でもある程度はできるようにさせるべきだとは思いますが、学校として、あるいは世間の風潮としてそういう考えはなかったのでしょうか?
実際のところ平時においては実際に兵隊になるのは徴兵対象の1/6程度であるのは承知のことです。それでも国民学校になったあたりからは「将来、男の子はみんな兵隊になる」という事だったのだから学校でちゃんと教えるべきではなかったと思うのですが、私の知る限りそういう事は聞いたことがありません。
飯田橋

  1.  国民学校ではなく、尋常小学校を卒業し女学校在学中に敗戦を迎えた義母に、戦前の裁縫の授業について聞いてみましたところ、尋常小学校で教えるのは運針までだそうです。したがって、雑巾を縫える程度ぐらいまでしか教えなかったようですが、それも物資不足の時代でありますので、まず、布がない、糸がないという状況だったそうです。また、上級生は工場に行かされ、義母等は食糧増産のために開墾や農作業に従事するのが主であり、授業などはほとんどなかったようです。
     したがって、国民学校で兵隊になるのだから、男児も裁縫をというのは、まずありえなかったはずです。その頃には、布も糸もない、授業もなく、食べ物もない。精々、軍事教練ぐらいしかやらなかったわけで、そのような余裕はなかったと思うからです。
     その一方で、義祖父は丁稚奉公に出ていた時代に裁縫を覚えたようで、自分のものぐらいは繕っていたようです。また、東郷平八郎は、イギリスの商船学校に行っておりましたので、裁縫等も含めて身の回りのことはほとんど自分でしていたようで、舞鶴鎮守府時代の使用人がすることがなくて困ったという話があります。一方、日清戦争の時代に生まれた祖母は小学校に行かせてもらえなかったようですが、実に目の細かい裁縫を晩年(90歳ぐらい)までしておりました。つまり、裁縫というのは、家庭、もしくは職場で必要に応じて覚えるものであり、学校で教えたというのが画期的だったということになります。
     そして、これを女児に限ったのは、当時、裁縫が家事の中で重要な地位を占めたからでありましょう。というのは、たとえば三越呉服店というような名前を持っていても、扱っているのは、主として反物です。つまり、布であって、服ではないのです。布を買ってきて、服にするのは家庭の仕事だったのです。そして、これは、戦前においては、アメリカでも普通のことだったのですが、これが主婦の重要な仕事であり、娘達は裁縫ができないと嫁には行けないと脅されたわけです。
     現在のように、男女間の差異が少なくなってきており、既製服が普通に売られている時代から考えると、不思議な話でありますが、裁縫が女子のみに課せられたのは、そのような時代背景があったわけです。実際、前述の義母は、化学を勉強したかったのに、父親に反対されて女学校の家政科に行っております。
     
    hush


  2. ご回答ありがとうございます。
    ただどうも話がかみ合っていないようで、ここ何日かどのように返答すればよいのか迷っておりました。
    >裁縫というのは、家庭、もしくは職場で必要に応じて覚えるものであり
    そうなんですけども、兵役は私的な丁稚奉公とは違い国家的な事なのですから、あるいは習わせる場があったのでしょうか?という事です
    例えばこれは徴兵検査ですが
    http://nankishirahama.com/%E5%85%B5%E5%BD%B9%E9%96%A2%E4%BF%82/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E6%A4%9C%E6%9F%BB%E9%A2%A8%E6%99%AF/
    各自が自発的に予め性病を治すとか、役所が「徴兵検査心得」というパンフレットをくれるとか、そういう事前準備があったそうです。

    ついでに
    http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317623.htm
    女子の裁縫は3年生から始めて5,6年生は週3時間です。雑巾を縫う程度だけとは思えません。
    それから三井呉服店「仕立て売り」というのもウリにしていたようです。
    飯田橋


  3. 初年兵教育(陸軍)の中に被服の修繕というのがあって、釦の付け方とか釦穴の修繕とかが教育されたようです。大して難しいことではないし、その場でやれば十分と思えます。
    ちなみに軍隊に必要だから学校で教えるべき、という論旨に読めますが、「必要」ってどういうことでしょう。釦付けがヘタクソだと戦闘に負けるのですか? 逆に「特に必要ではない」というか「重要度が低いから」学校で教えなかったように思えます。
    とおり


  4.  徴兵検査のパンフレットに記載されていないのでしたら、絶対に必要な事柄とは考えられていなかったのでしょう。
     海軍で必要なものの一つに水泳がありますが、募集条件の中に泳げる者という記載はないはずです。したがって、入営後水泳を教えるわけですが、太平洋戦争末期には、それを教える余裕すらなくしたようで、多くの溺死者を出しています。
     
     週3時間もの裁縫の時間があったのは、初めて知りました。ただ、戦時中に計画通りに実施されたかどうか怪しい話で、義母も、はっきりとは覚えてはいないようです。
     なお、江戸時代から仕立て売りがあったというか、一反から売る切り売りとともに三井高利の戦略の一つですから、三井を持ち出したのはまずかったかなと思っております。ただ、それは基本的な売り方ではなかったはずです。
     
    hush


  5. ご回答ありがとうございます。
    とおり様
    >大して難しいことではないし、その場でやれば十分と思えます。
    体験談で「苦労した」という記述が見受けられるわけですから、恐らく同じ話を聞いた子供も含む徴兵予定者は「予めできるようにしておこうかな」と考えるのが自然だと思いました。
    >ちなみに軍隊に必要だから学校で教えるべき、という論旨に読めますが
    別に正規の授業ではなく、裁縫の基本だけを放課後に生徒を集めて教えるとか、裁縫の仕事をしている人に、あるいは母親から教わるとか、そういう事があってもよかったのではないかと思ったのです。
    下の方(一般庶民)が必要だから自発的に習う場を作ろうとしなかったのか?をお尋ねしたかったのです。上の方(政府・文部省)が教えるように決めなかったのか?をお尋ねしたかったのではありません。
    >「必要」ってどういうことでしょう。
    別に戦闘には関係ないのでしょうが、軍隊生活をうまくこなしていくという事は当時の青少年、特に農村では重要なことだったと思います。小学校しか出てない小作人の息子でも上等兵になれば田舎では一目置かれる人物になれたそうですから。
    hush様
    >絶対に必要な事柄とは考えられていなかったのでしょう。
    上記の通り、自発的な対策として習っていなかったのかなということです。
    飯田橋


  6.  回答にはなりませんが・・・

     徴兵検査に合格したとしても必ず徴兵されるわけではありません。
     実際に徴兵されるのはだいたい10人に1人くらいです。
     であれば、学校で必修化したとしても将来実際に必要になるのは10人中1人ということになります。

     どうせやるのはちょっとした手直しぐらい(ほつれを直したりボタンや記章類の取り付けくらい)で、一から軍服を仕立てなきゃいけないとか高度な技術はまず必要ありませんから、入営してから初めて教わったとしても大きな問題になるとは思えません。
     であるならば、義務教育で必修化する必要性が認められなかったとしても不思議とは思いませんが・・・
    おうる


  7. >5

    >下の方(一般庶民)が必要だから自発的に習う場を作ろうとしなかったのか?をお尋ねしたかったのです

    ですから「軍隊に行ったら必要だから」と一般に認識されていなかったからあらかじめ習う機会も設けられなかった、の一言でしょう。仮に「裁縫ができないと軍隊でひどい目に合わされる」と広く認識されていたならば、個人的に対策する者は結構いたと思います。
    それから私は「裁縫で苦労した」という記述を読んだ記憶がありません。つまり、兵隊の誰もがそのように認識していたという訳ではなさそうです。苦労といえば、軍事訓練やそのほかの勤務や使役、内務班における制裁の恐怖や苦痛などのほうがよほど上回っていたと思います。むしろ、「裁縫の苦労」は苦痛の伴わないほっこりした思い出程度のものではなかったかと想像します。あるいは何か裁縫の不首尾が原因で制裁を受けたとかですかね?

    ちなみに、上等兵云々も本題には無関係です(針仕事が上手なら軍隊生活をうまくこなす一助にはなると思いますが、それと上等兵進級は無関係だろうという意味です)。
    とおり



176 留守家族から、戦場の軍人に手紙を送る場合、その宛先はどのようなるのですか?

テレビで放送された話です。
若妻が戦地の夫に手紙を送り、それが100通(正確な数は忘れました)にも達したそうです。その夫は、大隊長(?)であり、捕虜になったそうですが、手紙の束を持ち帰って来たそうです。彼らの娘によりその手紙が公開された、とのことです。麗しいお話でした。
ところで、留守家族から、戦場の軍人に手紙を送る場合、その宛先はどのようなるのですか?
(宛先は、所在地ではないでしょうから、組織名なのでしょうか?)

park123

  1.  陸軍の場合は部隊名、海軍においては艦船名を宛先に用います。
     なお、陸軍においては、部隊名は指揮官の姓と兵団、部隊、隊の部隊の種別名で表記されていましたが、1940年以降は通称号と呼ばれる漢字1、2文字の兵団符号と3-5桁の番号で表すように変更されています。
     亡父の場合、第63師団でしたので、陣という兵団符号が与えられており、家族はこれに定められた番号を付して手紙を送っていました。
     
    hush


  2. 早速のご回答ありがとうございました。
    基本的に
    <陸軍の場合は部隊名、海軍においては艦船名を宛先>
    なのですね。
    なお、兵団符号が、軍隊内や外にも使われていたのですね。
    park123


  3.  海軍についても「海軍部隊区別符号」「海軍所在地符号」が定められていて、それで送られた郵便もあります。空母加賀は「イ一八三」といった具合です。
    独立部隊でない(師団に属している)場合、歩兵なら連隊までしか番号が振られていないので、中隊長名を付して「凡二三四五 山田隊 田中一郎様」などと書かれていました。将校ともなれば、連隊の通称号だけでも届いたと思いますが。

     第二次大戦前、陸軍の通称号は西部・東部など本土にある地域司令部と満州について、それぞれ3桁以内の番号がついていました。満州は特別大演習などの移動を秘匿するためでしょうが、西部・東部などの番号は多くが留守師団、独立連隊など新兵を訓練する大小さまざまな部隊に付されています。たぶん部隊の新設や移動を隠すため、東部軍、西部軍などで受け取って仕分けした(けどパンクする量だったからやめた)のでしょう。

    マイソフ


  4. >2
     軍事郵便保存会・関西事務局員の日記
     こちらを御参照になれば実物が見られます。
    >3
     詳しいフォローを賜り、感謝申し上げます。
     
    hush


  5. マイソフ様
    早速のご回答ありがとうございました。
    <部隊の新設や移動を隠すため>
    いろいろ工夫をしていたのですね。船舶や部隊については、代わりの符号を使う事が出来たのでしょうが、個人名は如何仕方がないのですね。
    park123


  6. hush様
    再度のご回答ありがとうございました。
    紹介して頂きました
    <軍事郵便保存会・関西事務局員の日記>
    を見ています。当然ですが、留守家族あての手紙は沢山見ましたが、残念ながら、戦地着のものがまだ見つかりません。これからじっくりと探してみます。
    park123


  7.  鄭重な御礼を賜り恐縮致しております。
     戦地着の軍事郵便は当然のことながらあまり残っておりません。ただ、アメリカ軍が押収したものの中には、残っている可能性があると思い、ブログ内検索(左側のプロフィールと書いてある部分のずっと下にあります)で「押収」を調べてみたところ、何点か見つけました。
     御参考になれば幸いです。
     
    hush


  8. 再三のご回答、こちらこそ恐縮しております。
    <押収したもの>
    という手もあったのですね。いずれも、古色蒼然としていますが、当時の状況を生々しく伝えるものですね。また、手紙の保存という地味なことを実施している、団体や個人に頭が下がります。
    park123



175 「ローマ軍団は兵站で勝つ」「ローマ軍はアルテ(芸)で勝つ」という文句について
・いつ誰が言った言葉なのでしょうか?
・上記のように日本語では表記ゆれがありますが、原文ではなんと言っているのでしょう?
tellus

  1. 塩野七生さんが、ローマ人の物語で「ローマ人はツルハシで勝つ」と書きました。それが、巡り巡って質問者の言葉になりました。だから、誰がというのもありませんね。
    Tokyo-Rose


  2. 塩野氏の完全な創作だったのですか?
    古代の人物の言葉の引用だと思っていました。ありがとうございます。
    tellus


  3.  私も、「ローマ人はツルハシで勝つ」が原型ではないかと疑っております。検索をかけてみても、日本語以外に出てこないからです。
     ところで、ツルハシのほうは、ネロ暗殺を企てたとして自殺を命じられたローマの将軍コルブロGnaeus Domitius Corbuloのものですが、その原文がどのようなものであったかと思って、Wikipediaラテン語版のコルブロを調べてみました。当然ながら、何が書いてあるのか分かりませんでしが、ツルハシのラテン語dolabraはヒットしませんでしたし、らしい言葉もありませんでした。もっとも、英語版には”You defeat the enemy with a pickaxe”と言ったとありますので、原型は「ツルハシで敵を倒せ」だったのかもしれません。
     しかし、ツルハシというと工兵であり、兵站とは異なると疑問に思われるかもしれませんが、彼の言葉は橋を造っての意味だそうですので、煎じ詰めればそのようになるのかもしれません。
     なお、「ローマ人はツルハシで勝つ」は、新潮文庫版「ローマ人の物語」第24巻115ページにあるそうです。

     「ローマ人の物語」の中で、「ローマ軍は兵站(ロジスティクス)で勝つ」とも言われていたのだと、同文庫版の第27巻164ページに書いてあるという文章がネット上にありますので、「巡り巡って」ではないようには思います。なお、「アルテ」のほうも彼女が書いている形跡はあるのですが、この本を読んでいないので、はっきりしたことは申せません。
     つまらない指摘で申し訳ありません。
     
    hush


  4. 私は文庫版もっていないのでデカイサイズの方になりますが…

    「ローマ人はツルハシで勝つ」は4巻の72ページと10巻の87ページに記載があります。4巻の方にはコルブロが言った言葉として書いてありますが、10巻にはコルブロの記載はありません。

    「ローマ軍は兵站で勝つ」は4巻の62ページと10巻の88ページにあります。こちらは言われていると書いているだけで誰が言ったかの記載はありません。

    Hushさんの言うように巡り巡った訳ではありませんね〜。なにぶん十数年前にかkれた著作ですから許してくださいませ。(笑)

    両方とも塩野女史の意訳ではあると思います。また、彼女の著作の特徴として自分の言ったことと他人の言ったことは明確に分けていることがあげられますので、研究者や歴史家あるいは軍人などが言ったものを引用しているのでしょう。
    ま〜全15巻の大著であり、その他にも女史はムック本は解説本もかいているので他にもあるかもしれません。ま〜そこまでは追いきれませんのでご容赦を…

    で、閑話休題…

    両方とも道路や橋などのインフラ整備について述べたところで触れています。
    彼女が言いたいのはインフラの整備の大切さとなぜローマ人がこだわったのかについてです。主題はそちらになりますので表記に揺れでもなんでもありません。あくまでも読者に分かり易くするためにこう言われていたくらいですよというものですから…その部分だけが歩いてしまっているということでしょうね。

     今の使われ方とか引用のされ方は、インフラについて説明したというところが抜けて独り歩きしてしまっている面はありますね。ま〜そういったことを考えると巡り巡ってというのもあながち間違いではないかなと自己弁護をしておきます。

    アインシュタインの「エーテルは存在する」という言葉の引用ほど酷いわけではありませんが…

    最後に…

    Hushさんフォローありがとうございます。
    tellusさん、舌足らずな説明で申し訳ございませんでした。

    Tokyo-Rose



174  映画「パリは燃えているか」のオープニングの実写映像の中で、ドイツ占領下のパリの街の商店のショーウインドウにドイツ軍の勲章が売られているシーンがあるのですが、あれはどこから仕入れてどんな人が買っていたのでしょうか?
 
 公然と売られているのでドイツ側も問題なしとしていたのだと思われますが他国でも同じように戦時中に勲章が売買されていたのでしょうか?
トロッター

  1.  その映画を観たことがなかったので、 https://www.youtube.com/watch?v=HzuRNaNG4S8 で公開されていたものを少し観ました。しかし、オープニングは字幕が流れているだけでしたし、その後の映像を飛ばして観ても。問題のシーンを発見できませんでした。カットされているのかもしれませんし、観方が悪いのかもしれません。
     したがって、その勲章が当時の現行のものか、過去に出されたものかが分かりません。ただ、もし、後者であるのなら、堂々と店頭に置かれていたとしても、特には問題ないと思われます。というのは、勲章はコレクションの対象であり、売買の対象となっているからです。
     また、パリはドイツ軍の占領下にありましたが、市民は平時とあまり変わらない生活を送っております。もちろん、物資の不足はひどかったのですが、餓死者が出るほどではなかったようです。そういう中で、生活物資を買うために勲章を売り出す者がいても、不思議はなかったと思います。そして、その中には、ナポレオン戦争から第1次世界大戦で貰ったり、相続した、あるいは、購入したドイツ軍の勲章が含まれていたと思われます。
     ただ、ハーケンクロイツのついたものを堂々と売買できたかというと、そのあたりは微妙なものがあります。しかし、帝政時代のものならば、占領軍もあまり市民といざこざを避けたいという思惑もあって、それほど問題にならなかったのではと思っております。
     もっとも、ドイツ軍の勲章がパリの店先に並んでいるというのは衝撃的な場面であり、それほどあったとは思えません。したがって、ルネ・クレマンが実写映像の中に紛れ込ませたフェイクだったとしても驚きはしませんが。
     
    hush


  2. >hush様
    おそらく動画の5分過ぎのシーン。腰に吊るしたサーベルを放した左手とともにカメラがパンすると、持ち主が眺めるショーウィンドの中に勲章らしきものが写っているようにも見えます。
    残念ながら動画だと不鮮明なので鉄十字なのか単純な十字なのか判別できません。

    >トロッター様
    勲章については先に解答されたhush様に付け加える事は無いのですが、このオープニングはいわゆる「モンタージュ」手法で、記録映像と映画撮影した映像を混ぜる手法が使われているように見受けます。
    従って上記のシーンが記録映像なのかどうか判断できませんが、記録映像にしては上記のようにカメラがパンするなど、「凝って」いますので、撮影のようにも思えます。
    個人的には、この映像の意図は
    ・第一次世界大戦のドイツの勲章が売っている
    →戦場での戦利品やか戦間期にドイツ人が売った事を暗示
    →WW1でのフランスの勝利の象徴
    →それを眺める現代のフランス人(警官?、フランスの公的権力の象徴)
    を表現するシーンなのだと思います。

    いぎし ちじ


  3. いぎし様
     御教示多謝。
     たしかにそういう映像がありますね。
     若干、十字の端が膨らんでいるように見えますので、鉄十字章である可能性があるように思えます。
     おそらく、いぎし様の仰られるような意図で、挿入されたものでしょう。
     「禁じられた遊び」も、「太陽がいっぱい」も、何十年も前に観たきりですので、あまりよく分かりませんが、それぐらいのことはしそうな監督ですし。
     
    hush


  4.  ありがとうございます。
    DVDを静止すると明らかに鉄十字なのですが鍵十字がついているかまでは確認できません。
    確かに他の実写部分より若干画質が綺麗な気がします。
    ただ、あまりに一瞬で わざわざ作って差し込むほどのシーンでもありませんし ふざけてコッソリ入れた(インディジョーンズに一瞬小さく映るドイツ軍の車のナンバーに漢字で広島ナンバーがある等)にしては面白くも何ともないです。

     映像の真偽とは別に、実際に事実としてあったのか知りたいものです。
    トロッター



173 お世話になります サイトが閉鎖されるかもと聞き取り急ぎ書き込みします 質問というより紹介していただきたいのですが「エリコ(ジェリコ)のラッパ」の音源をさがしてます youtubeなどにもいくつか上がってますがアフレコらしいのでオリジナルの音源が聴いてみたいのです
アメリカ号について

  1. もちろんサイト・動画・CD・DVD・BD何れでもかまいません エリコのラッパの音色をどうしても聴いてみたいのです
    アメリカ号について



172 潮の満ち干きについて質問です。ミッドウェー海戦の作戦日時の決定に月齢が関わっていると聞きましたが、月齢と干満や波がどのように関係し、上陸戦にどう影響するのでしょうか
ささ

  1.  潮汐よりも明るさではないかと思っております。
     上陸予定日の1942年6月7日の月齢は23だからです。
     http://calc-site.com/search_dates
     月齢23というと、いわゆる下弦の月で、半月を左右逆にした形状になります。
     そして、この月や半月の頃は小潮ですので、潮汐の変化はほとんどありません。
     朝鮮戦争時の仁川上陸の際には、同地が地形の関係で10mもの干満差があったので、月齢は重要な決定要素となりえたと思います。
     しかし、ミッドウェーの場合、小潮ですので、環礁のリーフを切れ目を通過するのに満潮の時間はというような要素は少ないと思います。
     にもかかわらず、淵田美津雄、奥宮正武著「ミッドウェー」には、「上陸当夜の月齢の関係から」上陸日が決められたという記載がありますので、月齢が重要な決定要素であったことが窺えます。
     そして、これが潮汐に由来するものでないとすると、明るさが重要視されたと考えるのが自然です。

     旧日本軍は夜襲を好んだようですが、完全な暗闇の中では、行動が制約されます。
     月の出というのが重要なファクターとなりえるのは、このためです。
     そして、日本側の作戦は奇襲が基本ですので、相手が寝込んだ夜中過ぎに、夜陰とともに接近し、戦闘時は多少の明るさがあるのが望ましいと思われます。
     では、下弦の月は何時に昇るのでしょうか。
     満月、つまり月齢15の月は午後6時に昇ってきますが、月の出は毎日50分ずつ遅れていきますので、月齢23の月は午前0時過ぎに昇ることになります。
     そして、この時刻が夜襲がやりやすい時刻であるということから選ばれたのではないかと愚考致しております。
     
    hush


  2.  訂正
     ×潮汐の変化はほとんどありません。
     ○大潮の時に比べて潮汐の変化は少ないと思われます。
     他にも日本語がおかしい部分がありますが…。
     
    hush


  3.  Wikipediaには「上陸用舟艇で敵のリーフを越えて上陸するため、下弦月が月出する午前0時を選んだ。7月は霧が多く上陸が困難なため、6月7日に固定した」とありますね。
     だとすると、1の後半部分は訂正が必要ですね。
     たびたび、すいません。
     
    hush


  4. 丁寧な解答ありがとうございます。
    現代ではあまり気付く機会が少ないですが、月齢による光度の差は大きいのですね。

    ついでの上に軍事とは直接関係のない気象のことで申し訳ないのですが、1942年6月7日は小潮ということですが、小潮であれば波も穏やかということなのでしょうか。
    コタバル上陸の際も波が大きく上陸用舟艇への移乗が困難だったとあり、上陸戦において波も重要な要素であったと思うので気になります。
    ささ


  5. >3
    私も月明かりが要因かと思い確認したところ、00時過ぎに月出を迎えるのは日本近海(35°N 135°E)で日本平均時(UTC-9h)の場合のようです。
    ミッドウェー島(28°N 177°W)における現地時間(UTC+11h)での月出は0213Y、月齢23.7で長潮とのことです。
    Wikipediaの記述は、出典を確認する要があるかと思います。
    当日の潮汐を知ることができればなお良かったのですが、残念ながら調べ切れませんでした。

    >4
    潮汐というのは潮の満ち干きであり、波の高さとは関係ありません。
    高潮となれば水深が深くなり、低潮であれば浅くなります。
    大潮とは高潮と低潮の差が大きい期間、小潮は差が小さい期間で、水深の変化が少ないという事です。
    一方で、一般にイメージされる波は「風浪」と「うねり」から成り、気圧変化や温度変化、つまり風によって生み出されます。



    YK


  6. ミッドウエーでの月の出は6月8日が23時13分頃、9日が23時49分頃、いずれも日本時間で、ということではないでしょうか。


  7. 時刻帯の表記を間違えました。
    日本がUTC+9h、ミッドウェー島がUTC-11hです。
    失礼しました。

    >6

    今更このようなことを質問するのも恥ずかしいのですが、上陸予定の「6月7日午前0時」というのは、日本時間なのでしょうか。
    現地時間なのでしょうか。
    日本時間であれば、月出は上陸予定時刻の2時間半前、月齢22.4。
    現地時間であれば、月出は上陸予定時刻の2時間後、月齢23.2になるかと思います。
    YK


  8.  アメリカ軍のは現地時間で表記されることが多いですが、旧日本軍関係のものは日本時間で書かれていることが多いので、日本時間だと思われます。
     
    hush


  9. >YK様
    詳細な説明をありがとうございます。波の強さは風で決まるのですね。
    ささ


  10. >5,8
    いえいえ、大潮と波は大いに関係あります。波というのは、ここで話題になっている大潮・小潮といった潮の関係、海底地形、天候によって変わります。よって、大潮と波は大いに関係あります。サーファーは大潮のときに狙ってサーフィンする人が多いのは良い波が来るからです。

    つまり大潮と波が関係ないというのは一概には言えないということですね。
    Tokyo-Rose


  11. 5,8ではなく5,9の間違いでした。
    Tokyo-Rose


  12. 連投になり申し訳ございません。

    大まかに言うとYKさんが言っているのは全般的な一般論。
    私が言っているのは海岸線の限定のお話と解釈いただくのが良いでしょう。
    Tokyo-Rose


  13. >10
    ご指摘、ありがとうございます。
    海岸付近での波高は水深の影響を受けますので、おっしゃる通り大潮が関係ないということはありません。
    >4 が、輸送船から舟艇への移乗に関しての質問でしたので、ある程度の沖合を想定して記述いたしました。

    元質問に戻って、月齢と上陸戦との関係ですが、確定的な結論が得られないようですので、少し推論を述べさせていただきます。
    ミッドウェー島のようにサンゴ礁を越えて舟艇を侵入させる場合、潮汐(上陸時の水深)が重要なのは明らかです。
    しかし、潮汐というのは地理的な要素が大きいため、各ポイントに験潮所を設置して長期的な観測データを収集しなければ、正確な予報値を得ることはできません。
    外国の各地域の潮汐は、当該国の政府機関によって公表されていますが、当時の情勢を鑑みるに日本がアメリカの潮汐表を得られたとは考えにくいと思います。
    となると、戦前に得ていたデータから類推するものと思いますが、月齢は海外の地点のものでも計算で出すことができますから、極端な低潮となることがない小潮の時期を選んだのではないでしょうか。
    YK


  14. >8
    日本時間でしたか。
    ありがとうございます’。
    YK


  15. YKさん、舟艇に移るときですから沖合いですよね。私の方こそぶしつけな意見申し訳ございませんでした。
    Tokyo-Rose



171 お世話になります ナチスドイツのことを色々調べているのですが総統専用列車「アメリカ号」のネーミングの由来がどうしてもわからないのです こちら方面に造詣の深い方ご教授いただければ助かります
アメリカ号について

  1.  すみません、文字化けしました。
     ウムラウトが原因かと思って削除しましたが、やはり、文字化けしました。
     結論だけ書きますと、リンク先にありますように、Aで始まる地名で統一した結果であるようです。
     1、2は削除を御願いします。
     
    hush


  2. hushさん おはようございます 早速のご回答あまりの速さに驚いてます 国としてのアメリカではなく大陸名としてのアメリカという話も納得のいく記事だと思いました 敵国の国名をなぜ命名したのか不可解でしたしたいへん助かりました ありがとうございました!
    アメリカ号について


  3. アメリカ号について様(できましたら、投稿名を統一して戴くとありがたいのですが)
     鄭重な御礼を賜りありがとうございました。

    管理人様
     お手数をおかけしました。
     ただ、あとで考えると、リンク先も分からなくなりますので、一応、それだけ記させて戴きます。
     https://de.wikipedia.org/wiki/F%C3%BChrersonderzug
     今度は文字化けしませんように。
     
    hush


  4. hushさん こんばんは ご指摘ありがとうございます 以後そのようにします link先のサイトは1・2番が削除される前でしたから閲覧出来ました しかしこの質問に興味を持つ方がおられるかもしれないのでlinkの再記載はありがたいです お手数おかけしました
    アメリカ号について



170 ガダルカナル島→餓島
ボーゲンビル島(ブーゲンビル島)→墓島

こういった地名の隠語・二つ名を教えて下さい。
どちらかといえば太平洋戦争中心でお願いします。
お客

誰か答えて下さい。

169 旧日本軍のことで質問します。M.I.Aになった方の給与というのは、どのくらいの期間払われるのでしょうか?あと払われるのは家族の方?

まさのり

  1. 実際の戦死時期にかかわらず、戦死認定までだそうです。


  2.  「海軍給与令」第14条に「所在不明の軍人所在判明したるときは其の不明と為りたる原因正当の事由ある者に限り停止中の俸給を給す(原文、片仮名、旧字)」とあります。これより判断するに戦闘中であろうがなかろうが、海軍軍人が行方不明になった場合は俸給が停止されることになります。
     ただし、これはアジア歴史資料センターがリファレンス・コード、A03020589300で公開しているもので、1904年のものです。したがって、その後、1で
    片様が仰られているように規定が大幅に変わっている可能性はありますが、日露戦争の時にはこの規定であったものと思われます。したがって、第2回旅順口閉塞戦において行方不明になった杉野兵曹長などは、その時点で俸給は停止されたものと思われます。
     では、行方不明になると家族が路頭に迷うのではと思われるかもしれませんが、脱走等は別として、行方不明から一定期間を経て戦死と認定され、恩給も出るでしょうし、特別賜金、死亡賜金、見舞金等が支給されるはずです。特に杉野兵曹長の場合は、金鵄勲章を受章しておりますので、そちらのほうでも一時金が出るはずです。
     ただ、寡婦となった兵曹長夫人は店員を経て三重県立女学校で教えながら生計を立てながら子供を育て、長男と次男を兵学校に入学させています。当時、女性が働くことは少なかったようですが、一家の支えを失うと、そのようなものがあっても生計が成り立たなくなるということだろうなと思っております。なお、この長男が長門の最後の艦長として発令された(戦時中に着任できず)杉野修一海軍大佐です。
     おそらく、御質問は太平洋戦争中、旧日本陸軍のことを想定されてのものではないかと思いますが、こういうケースもあるということで、回答させて戴きます。
     
    hush


  3. >1.は日本陸軍の給与法規に拠っています。

    hushさんがおっしゃるように、明治37年海軍給与令では行方不明の場合いったん給与を全額停止としているのですが、
    これはのちに、正当と思われ状況での行方不明に大しては俸給の50%を給与し、所在が判明して原因が正当と認められた場合には残り50%の差額を支払うことに変わり、

    さらに、昭和12年改正では、
    戦地での行方不明や艦船沈沒などの公務中の行方不明者には、俸給の全額。
    その他の場合で所在不明となった者には俸給額の50%を給す。
    に変わっています。


  4. 片さん、hushさん、詳しい回答ありがとうございます。因みに「生きて虜囚の恥ずかしめを受けるなかれ」と
    謳ってた旧軍では、KIAとPOWでは処遇は違ってたのでしょうか?
    まさのり


  5.  それはもう全然違います。
     自分の父親は戦時捕虜なわけですが、戦後の帰国ですからその点問題はなく、軍人恩給も貰っていました。
     しかし、旧日本海軍軍人の記録を見ていると、たまに免官という文面を見ます。そして、私の知る限り、戦時捕虜になった将校はすべて免官になっております。当然、免官ですから、俸給も何も貰えるはずもなく、吹浦忠正著「捕虜たちの日露戦争」(2005年NHKブックス:絶版)等を読んでいますと、戻ってからも肩身の狭い思いをしたそうです。そして、その多くは、どうしようもない状況で捕虜になったにも関わらずです。そういう中で、杉野兵曹長は捕虜になったのだが、軍神になったので、日本側が受け取りを拒否したのだという噂話すら出ます(多分、実話ではないと思っています)。
     では、杉野兵曹長のように軍神になったらいいかというと、たまたま真珠湾の9軍神の1人の親戚を知っているのですが、軍神の家ということで世間の注目を浴びているので、常にきちんとしていなくてはならず、それはそれで息の詰まるものであったようです。
     ところで、亡父は、8年間、兵隊として中国におり、ソ連に抑留されたとペルー人に話したら、英雄だと速攻で言われたことがあります。かつて、大統領候補になったマケインがヴェト=ナム戦争の捕虜であったように、捕虜になって生き延びた者は賛嘆されるのが世界の常識のようです。そういう中で、日本では、捕虜になるより、自決を強いられ、たとえば、衝突事件を起こして精神不安定になり剃刀で頚動脈を切って死亡した艦長は、どことなく責任を取ったと解釈されていたりします。
     このあたり、日本の価値観が世界の中から見たら、非常識極まりないものだということを知ってもらいたくて、つい、この掲示板にふさわしくないことを書き込んでしました。失礼しました。
     
    hush


  6. hushさん詳しい解説ありがとうございます。生きて虜囚云々に関しては、「戦陣訓」あたりからうるさくなったとか
    あるみたいですね。
    まさのり



168 旧日本海軍では水上機をカタパルト発進させるとパイロットに6円の危険手当が支給されたそうですが、当時の外国でもカタパルト発進したらパイロットに特別手当がついたりしたんでしょうか?
それとも カタパルト発進の危険手当は日本だけなのでしょうか?
おでんくん

誰か答えて下さい。

167 こんにちは 拝島駅付近を歩いていると米軍専用線が目に止まりますよね JR貨物がタンカータキを牽引しているのをたまに見受けます ふと思ったのですが横田基地まではJR貨物扱いなのですが基地内での運行管理はどうなっていますか? 機関車車種や担当部隊はどこなのでしょうか?
東方

  1. NAVSUP FLC Yokosukaが鶴見駅から積み出し、横田では374th Airlift Wingの指揮下にある374th Logistics Readiness Squadronが'fuels mobility equipment'の運用と燃料在庫管理に当たるようですね。

    http://www.navy.mil/submit/display.asp?story_id=77444
    http://www.yokota.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=6820
    マイソフ


  2. ありがとうございます! 子供の時からタキの雄姿を眺めていて黒塗りタキに興奮していたのを思い出します あの頃にくらべるとベース内の路線も廃線が進んでいるようで寂しくもあります
    東方 2016.2.2 14:36



166 「日本航空燃料史」嘉納吉彦
昭和31年10月31日発行 養賢堂

の中で
「米国航空揮発油の進歩」云う記述の中で

 Pratt &Whitney R−4360型などの高性能発動機は機械的進歩と燃料化学的進歩とが相俟って達成されたものである。
 機械的進歩にも種々あるが、燃焼室の設計を巧妙にして、例えば攪乱作用(Turbulence)をよくしてノックの起るend−gas(燃焼の終りの部分の瓦斯)を冷却したり、薄めたり或はその存在時間を短くしてノックを減少させることが高性能発揮に有効である。
 これがいわゆる機械的オクタン価(Mechanical Octane Number)の向上、でこれによって化学的オクタン価の効果を一層高めることが出来るのである。

 とあります。これがどういう事なのか、何方か簡単に、分かりやすくご説明いただけないでしょうか。よろしくお願いします。

  1.  ガソリン・エンジンはガソリンと空気の混合気を圧縮してプラグにより点火しますが、その際、膨張した燃焼ガスの外側で未燃焼の混合気(エンド・ガス)がピストンやシリンダーの壁面に押し付けられ、高温により自己着火して衝撃波が生じる場合があります。この衝撃波により生じる金属性の音が物を叩くような音なので、ノック、もしくはノッキングと申します(点火プラグを持たないディーゼル・エンジンは常にノッキングを起こしているとも言えますが、これは別です)。
     これを防ぐためには、未燃焼ガスが勝手に着火しないように着火温度を上げた(これをオクタン価を上げると申します)燃料を使用するという方法があります。文中にあります科学的オクタン価というのはこのことを指していると思われます。
     一方、混合気が燃焼室内で完全に燃焼するようにエンジンを設計するのを、機械的オクタン価と称しているのだと思われます。P&WのR4360、ワスプ・メジャーがどのような機械的特質を持っているかは存じませんが、タービュレンスという言葉から判断するに、燃焼室の形状の理想である球形に近づけているのではないかと思っております。これにより、混合気を完全に燃焼できないまでも、エンド・ガスを薄めたり、着火しないように冷却したり、存在時間を短くすることによってノッキングを防いでいるという意味ではないでしょうか。
     どなたからも書き込みがございませんので、完全に門外漢ですが、つい、書きこんでしまいました。間違い等があるかもしれませんが、燃料と燃焼室の形状の工夫によりノッキングを減らし、圧縮比等を高めたエンジンということであるようです。
     
    hush


  2.  燃焼室を球形に近づけるというのは、他国でもやっておりました。もっと違うアプローチだったのだと思うのですが、その具体的な中身は分かりませんでした。
     
    hush


  3. hush様、いつもありがとうございます。最近、益々、航空発動機は手におえないなと実感しております。



165 昔のアメリカ映画の題名がわかりました教えてください
戦闘場面はみなかったのですが、
主人公は
○硫黄島帰りの海兵隊員
○戦死した上官の大尉か中隊長の未亡人を訪ねた
○ボクシングをしていた
○その海兵隊員と未亡人が恋仲になったかどうかはよくおぼえていません
「わが生涯最良の年」かと思って貸しビデオをみたのですが違いました

yama

  1.  「眼下の敵」で、原作とあまりに違うひどいラスト・シーンに腹を立てて以来、アメリカの映画は観ないことにしていますので、皆目分からないのですが、こちらのサイトが参考になるのではと思っております。
     http://www11.plala.or.jp/Gang-Ho/usmc/movie/movww2.html
     昔の硫黄島を舞台にしたアメリカ海兵隊の映画ということですと「Sands of Iwo Jima(硫黄島の砂)」が一番近いのではと思いますが、大尉ではなく、軍曹ですね。
     
    hush



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